2024年9月22日日曜日

判例紹介:営業秘密ではなく、ノウハウの不正流出が認められた事件

ノウハウについての法的保護については、営業秘密とは違い条文化されていません。しかしながら、ノウハウの流出について裁判で争われた事例はいくつかあります。
今回紹介する事件は、そのような事件(東京地裁令和4年9月15日判決 事件番号:令元(ワ)18281号)であり、ノウハウの保有者である原告の賠償金請求が認められています。

原告の代表者であった被告Aが原告の開発した技術やノウハウを被告会社に提供してこれを取得させた行為は、原告に対する忠実義務(会社法355条)及び競業避止義務(同法356条1項1号)に違反する不法行為であり、原告が被告と被告会社に共同不法行為(民法719条1項)及び不法行為(同法709条)に基づいて損害賠償を求めたものです。
なお、ノウハウとは、ナノサイズの炭素繊維の製造技術や粉砕技術、分散技術に関するもののようです。
ここで、被告Aは原告の元代表取締役であり、その在任中に、炭素繊維の粉砕、分散、再生等の事業に対する技術面で中心的な役割を担ってきたようです。そして原告の主張によると被告Aは、原告代表取締役在任中の平成30年頃以降、原告に秘匿して被告会社と顧問契約を結び、技術指導として、原告が資金、労力をかけて開発してきた炭素繊維の粉砕・分散技術やノウハウを原告に無断で被告会社に提供し、その対価として顧問料の支払を受けていたとのことです。

原告のノウハウについて裁判所は具体的に以下のように判断しています。
原告は、平成29年6月までには、試作品ではあるものの、炭素繊維の粒子を平均繊維径20nm、平均繊維長360nmのナノサイズに粉砕し、これをマスターバッチ化することに成功し、その後も炭素繊維をアスペクト比を大きくするように繊維状に粉砕する方法、分散剤の選定等についても試行錯誤を重ね、同年12月までには、特許出願ができる程度に、炭素繊維を一定のサイズに粉砕するために使用する乾式粉砕の装置、雰囲気温度、インペラ回転数、粉砕時間、混合液の処方条件、湿式粉砕及び分散処理に使用する装置、使用ビーズの条件等や一連の工程を特定し、その後も、実用化に向けて、炭素繊維を一定のナノサイズにまで粉砕しつつ飛散や再凝集の課題を解決し得る一定の技術を取得していたというべきである。
他方、その当時、このような炭素繊維の粉砕技術等を用いて、所定のサイズのカーボンナノワイヤー分散液であって、かつ、高濃度にカーボンナノワイヤーを含有する分散液を調製する方法が原告以外の第三者によって既に開示されていたことをうかがわせる具体的な事情を認めるに足りる証拠はない。
そうすると、遅くとも本件特許出願当時に原告が有していたカーボンナノワイヤー分散液の製造方法に係る技術内容、すなわち、炭素繊維をカーボンナノワイヤーと称するほどのサイズ(平均繊維径30nm~200nm、平均繊維長1μm~20μm、アスペクト比3~200)に粉砕・分散処理したカーボンナノワイヤー分散液を調製する方法(以下「原告方法」という。)は、一定の有用性・経済的価値を有するものであり、みだりに他者に開示、使用されない正当な保護を受けるに値する情報といえる。
このように原告のノウハウは保護を受けるに値すると裁判所は判断しました。この判断基準は、実質的に営業秘密でいうところの有用性と非公知性であると思われます。一方で原告主は営業秘密ではなく単にノウハウとしか主張していないので、秘密管理性については当然ながら判断されていません。


さらに、被告Aの被告会社に対する技術情報の提供の有無について、以下のように裁判所は判断しています。
被告会社は、被告Aを顧問に迎え入れるまでには炭素繊維の粉末を利用したマスターバッチを製造する技術等についての知見及び経験を有していなかったことから、被告Aが有する炭素繊維の分散技術に期待して同被告を顧問として迎え入れ、同被告も、被告会社の顧問として炭素繊維の分散技術の開発に必要な炭素繊維粉末を準備した上で、高濃度で分散性の優れた炭素繊維のマスターバッチ製造のための試行錯誤を繰り返し、一般的な炭素繊維ミルド粉末を利用したマスターバッチの濃度を優に超える高濃度のマスターバッチを作製するための製造方法(レシピ)を開発したものといえる。
このことと、原告が平成29年当時有していた炭素繊維を原料とするカーボンナノワイヤー分散液の技術的課題、意義及びその特徴と被告会社が自社の技術として広報した高分散・高濃度の炭素繊維マスターバッチのそれとが共通していること、他方で、その当時、被告会社において被告A以外の者により炭素繊維粉末を高濃度に含むマスターバッチの製造に関する具体的技術やノウハウを取得したことを認めるに足りる証拠はないことに鑑みると、被告Aは、原告において開発していたカーボンナノワイヤー分散液の製造技術を被告会社に対して提供し、被告会社においてこれを利用したことが合理的に推認される。
このように、被告Aが被告会社に原告のノウハウを提供し、さらに被告会社がこのノウハウを使用したことを裁判所は認めています。
裁判所はこのような被告Aの行為を「カーボンナノワイヤー分散液の製造方法といった炭素繊維の粉砕・分散技術に関する原告の技術情報を、少なくとも過失によって第三者である被告会社に開示して使用させたものであり、原告に対する忠実義務に違反する。これにより、被告Aは、原告の営業上守られるべき利益を侵害したといえることから、原告に対して不法行為責任を負う。」と認めています。
そして、裁判所は「原告は、被告らに対し、共同不法行為に基づき、連帯して160万円の損害賠償請求権・・・を有する。」とのように原告の損害賠償請求権を認めました。

以上のように、営業秘密ではなくノウハウの不正流出に対しても法的保護を受ける可能性があります。そして、ノウハウは秘密管理性を必要としません。すなわち、秘密管理性がないものの、営業秘密でいうところの有用性及び非公知性を有する情報であればノウハウとして法的保護を受ける可能性があります。
しかしながら、民法719条や709条に基づく請求であれば、損害賠償は認められても差し止めは認められない可能性があります(本事件でも原告は差し止めを請求していません。)。
とはいえ、被告がノウハウを使用しており、原告の損害賠償請求が認められた場合には、その後、被告が当該ノウハウの使用を継続する可能性は低いようにも思えます。一方で、例えば自社からの転職者によってノウハウを不正に持ち出されて、転職先で開示されただけでは、損害が発生していないとして損害賠償が認められないかもしれません(営業秘密では弁護士費用が損害として認められている裁判例もあります)。
さらに、ノウハウの不正流出(不正使用)は不正を行った者に対して民事的責任を負わせることができたとしても、刑事的責任を負わせることはできません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年9月13日金曜日

判例紹介:取引先に開示したマニュアルについて

フランチャイザーがフランチャイジーに業務に関するマニュアルを開示することは一般的かと思います。そして、このようなマニュアルはノウハウとして秘匿されていることでしょう。
今回は、フランチャイザーである原告とフランチャイジ―である被告とに関する事件(大笹加地裁令和6年7月18日判決 事件番号:令5(ワ)829号)を紹介します。

本事件の原告はフランチャイズシステムによる学習塾の経営等を行っており、個別指導塾のフランチャイズ事業(Wam)を展開していました。
被告は、コンサルティング業務を行っており、被告を経営主体とした英会話スクールであるLanguage House(LH)を運営していました。
そして、原告(フランチャイザー)と被告(フランチャイジー)とは「個別指導Wam」のフランチャイズ契約を締結し、被告は物件のフロアを「個別指導Wam」の教室(本件教室)とLHとで折半する形でJR奈良駅前で運営しました。
しかしながらその後、被告は原告に対して契約の解除を通知し、本件教室を閉校しました。一方で、被告は同じ建物でLHの運営は継続しています。

このような経緯のもと、原告は、被告が原告から提供された受験指導に関するノウハウ(営業秘密)を不正の利益を得る目的でLHで使用したことが不競法2条1項7号の不正競争に当たると主張しました。なお、このノウハウはマニュアル(本件マニュアル)としてまとめられているもの等であり、営業秘密として特定できているようです。

なお、原告の従業員であるP3は、中学2年生の娘を持つ母親を装い、LHの入塾相談に赴き、これに対応した塾長であるP1とのやり取りを録音したりしています。これにより、原告は被告が原告のノウハウを使用しているという確信に至ったようです。

被告が原告の営業秘密を使用したか否かについて、裁判所は以下のように判断しています。なお、以下の本件相談2とは、原告のP3がLHの入塾相談に赴いたときの面談内容のことです。
(2) 本件相談2におけるP1の行為
原告は、保護者からのヒアリングにおける聞くべきポイント(苦手な教科と苦手になった時期や理由、得意な教科とその理由、毎日の勉強習慣等)、生徒の学習状況を確認するためのチェックすべき点(どの教科がいつからわかっていないのか、普段の学習習慣は本当に行われているか等)、受験の傾向などが営業秘密であることを前提に、P1が本件面談2でこれらを使用した旨主張する。
しかし、上記情報は、いずれも、一般的な学習指導の視点等として常識に属する程度の情報であって、非公知のものとはいえないし、仮に受験の傾向等、常識の範囲とまではいえない情報があるとしても、本件相談2においてP1が用いた情報は、同人の英語指導の経験等に基づく知見に属する範囲のものにすぎないものと認められるから、いずれにせよ、原告の営業秘密を不正に使用したとは認められない。
このように、裁判所は、原告の主張する営業秘密は「一般的な学習指導の視点等として常識に属する程度の情報」であり、非公知とはいえないとしています。また、常識の範囲とはいえない情報があるとしても、P1が用いた情報はP1の経験等に基づくものであるとし、原告の営業秘密を不正に使用を認めませんでした。


また、原告は被告に対して競業避止義務違反も主張していました。この主張に対して裁判所は、原告の主張を認めず、さらに下記のようにも裁判所は述べています。
原告は、本件許容条項は原告のノウハウを被告の英語・英会話教室に導入することまで許可したわけではない等と主張するが、本件許容条項のもとでフランチャイズ契約を締結するのであれば、ある程度のノウハウの共有、混同は避けられないのであって、このような事態は契約上当然に予定されているものと解されるから、原告の主張は理由がない。
すなわち、被告は原告と同様の事業であるLHを別途行っているのであるから、原告が被告に開示したノウハウが被告のLHにもある程度は共有、混同されることは想定の範囲内であると裁判所は判断したようです。

本事件のように、一般的に知られているようなノウハウのマニュアルは非公知性が無いとして営業秘密とは認められ難いのかもしれません。
また、フランチャイジーのような取引先にマニュアルを開示した場合、当該取引先はマニュアルを不正取得したとみなされることはないため、取引先が不正を行ったと主張するためには不正使用又は不正開示の主張となります。
しかしながら、本事件のように、取引先の行為がマニュアルの不正使用であると主張しても、取引先の行為が取引先自身の経験等に基づくものであるか、マニュアルの不正使用に基づくものであるかを切り分けることは難しいでしょう。
さらに、本事件では、被告は原告のフランチャイズ事業と同様の事業を並行して行っていることから、原告が開示したノウハウの共有、混同は避けられないとも裁判所は判断しています。

このように、取引先に自社の営業秘密とする情報を開示する場合には、当該情報が営業秘密として守られるのか、契約終了後における取引先の行為が自社の営業秘密の使用とされる範囲はどのようなものであるのか等を判断して、取引先との契約を行うべきでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年8月29日木曜日

転職者が前職の営業秘密を持ち込んだ刑事事件

自社への転職者が前職の営業秘密を不正に持ち込んだ刑事事件のリストです。なお、このリストに挙げた転職に伴う営業秘密の刑事事件は、一部であり、実際にはより多くの事件があります。
先日、兼松から双日への転職者が双日へ不正に営業秘密を持ち込んだ刑事事件の地裁判決が出ました(上記リストの一番上の事件)。懲役2年(執行猶予4年)、罰金100万円という有罪判決です。この判決は、被害企業にとって大きな損害が発生していない場合における他の刑事事件と同様と思われます。
なお、双日は転職者が持ち込んだ兼松の営業秘密を不正使用した様子はなく、双日は刑事告訴されていません。しかしながら、双日は警察によって家宅捜索を受けており、従業員は事情を聴かれているでしょう。このため、双日は本来不要であるはずの対応を行っており、双日もある意味では被害を被っていると言えるでしょう。

一方で、営業秘密侵害であるとして自社への転職者が逮捕されたものの不起訴となっている事例もあります。不起訴となっている理由は定かではありませんが、持ち出した情報が営業秘密ではなかった可能性があります。
仮に、持ち出した情報が非公知性を満たしていないことが不起訴の理由であれば、転職者は自由に使用することができる情報を持ち出したのであり違法ではありません。逆に、転職先企業がこの情報を有していなければ、この情報を転職先にもたらした転職者を雇用したことは、転職先企業にとって有意義であったともいえます。

特に、技術情報に関しては公知となっている情報が多数あります。そして公知の情報であるにもかかわらず、当該情報を秘密管理している企業もあるでしょう。このような場合、技術者は当該情報が公知であることを認識しつつ、転職先でも参考になると考えて持ち出す可能性もあります。一方で、前職企業は自社で秘密管理していた情報であるから、転職した技術者による不正な持ち出しであるとして刑事告訴する可能性があります。
そして警察は当該情報の秘密管理性が認められれば、非公知性についてさほど判断せずに(技術情報なので判断できない)、逮捕又は書類送検に至る可能性があるのではないでしょうか。

では、このような場合に転職先企業はどうするべきでしょうか?
転職先企業は営業秘密侵害の嫌疑をかけられた転職者等から、どのような情報を持ち出したかをヒアリングすべきでしょう。このとき、当該情報が真に営業秘密である可能性もあります。このため、当該情報がその後、自社内で拡散しないように非常に限られた人員又は社外の弁護士等のみが知り得る状態としてヒアリングする必要があります。
仮に当該情報が前職企業の顧客情報や取引先に関する情報(営業情報)であれば、当該情報は非公知の可能性が高いです。また、技術情報でも、数値データや物質の組成等であれば非公知の可能性が高いです。このような場合には、転職者が不法行為を行っている可能性が高いでしょうから、転職先企業は転職者を守る必要なないと考えられます。
一方で、当該情報が公知であれば、転職者は不法行為を行っていない可能性が高いので、転職先企業は転職者を守って然るべきでしょう。

このように、企業は自社への転職者に営業秘密侵害の嫌疑をかけられた場合、転職者が持ち出したとする情報が真に営業秘密であるか否かを可能な限り調査し、この転職者に対する対応を考える必要があると思います。すなわち、営業秘密侵害の嫌疑をけられたからといって、当該転職者を犯罪者のように扱うことは妥当ではないと考えます。
そもそも転職者を雇用したということは、この転職者が自社にとって必要であると判断したのであり、そのような人物を失うことがあっては自社にとって損失に他ならないでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信