2024年5月29日水曜日

信州大学による乳酸菌株の不法使用なのか?

先日、信州大学が企業から提供された乳酸菌株を不法に使用したとして提訴されたとの報道がありました。

・乳酸菌研究に自社のもろみを提供、契約外利用と信州大を提訴 長野市の「井上醸造」、長野地裁に (信濃毎日新聞デジタル)
・老舗味噌蔵が信大など提訴 「乳酸菌株を不法使用」 (長野朝日放送)
・「研究用に提供した乳酸菌株を不法に使用」老舗みそ蔵が信州大学と准教授を相手取り1000万円の損害賠償求め提訴「十分な説明がなくやむを得ず提訴」 (TBS NEWS DIG)
・<詳細> (有限会社井上醸造 リリース)

報道等からわかる経緯としては以下のようなものです。
①2013年に長野県のみそ製造会社である井上醸造がみそのサンプルを提供。
②信州大学の准教授がLD株と呼ばれる抗菌性が高い乳酸菌株を発見。
③商品化が持ち上がるものの、井上醸造は反対して撤退。「秘密情報は破棄」
④信州大学は高い抗菌性を持つPP165という乳酸菌株に関連する特許を出願(2016,2017年)。
⑤井上醸造は抗菌性の特徴や外部に委託した解析結果から、自社が提供した乳酸菌株だと主張。
⑥井上醸造が信州大学へ説明を求めるものの、十分な説明はない。
⑦井上醸造が信州大学と准教授に対して訴訟提起。

報道では2016年、2017年に特許出願したとのことですが、確かに信州大学が2016年に出願し、この出願を基礎として2017年に優先権主張が行われた特許出願であって、請求項にPP165の構成が含まれていたり、発酵調味料として味噌であることに言及したものがあります。この特許出願は、審査を経て補正の後に特許査定となっています。

さらに、井上醸造のリリースには下記のような記載があります。
信州大学に対しては、本訴訟提起に至るまで、再三にわたり、PP165株がLD株とは別の乳酸菌株と主張するのであれば、それがわかるよう説明してほしいと求めてきましたが、信州大学からは十分な説明はなく、信州大学の手元にあるはずの資料の開示もなされませんでした。しかも研究活動の不正に関する窓口への通報も行いましたが、それも門前払いされてしまったため、やむを得ず最終的判断を司法の場に委ねることといたしました。
上記リリースのように、信州大学は「PP165株がLD株とは別の乳酸菌株であること」を明確にすれば事足ります。報道によると「飯山市のみそ蔵から発見したもの」と説明したそうのので、当該「みそ蔵」を明確にし、この「みそ蔵」からも信州大学にサンプル提供を行ったとのことを証言してもらえば済むと思いますし、提訴される前に行うべきなのではと誰もが思うでしょう。


ここで、報道等から判然としないことは、秘密情報とされる物が何であるかということです。すなわち、秘密情報が井上醸造から提供されたサンプルである味噌なのか、この味噌から分離された乳酸菌株なのか、ということです。

おそらく、ここでいう秘密情報は乳酸菌株であると思います。しかしながら、仮に秘密情報が味噌であり、この味噌が信州大学への提供時に販売されているものだとすると、味噌そのものは公知であり、営業秘密とはなり得ないと思います。

一方で、秘密情報が乳酸菌株であるとすると、この乳酸菌株の発見は准教授によって行われたとのことですので、准教授も乳酸菌株の保有者となり得るのかもしれません。そうであれば、准教授はそもそも当該乳酸菌株を自由に使用できる立場である可能性があります。
このような知的財産の所有権に関することは、井上醸造との間における知的財産に関する契約書に記されているのではないでしょうか。
そうすると、契約において、乳酸菌株が破棄されるべき対象とされていたのかが重要となるでしょう。仮に破棄の対象が井上醸造が提供したサンプルと解釈され、乳酸菌株が破棄の対象とはなっていない場合には、准教授が当該乳酸菌株を使用することに問題がないとなるのかもしれません。また、仮に破棄の対象が発見した乳酸菌株そのものとされるものの、当該乳酸菌株に関する資料は破棄の対象に含まれていない場合には、当該資料を使用することに問題がないかもしれません。
いずれにせよ、研究により新たに発見した知的財産の取り扱いや、契約終了後に破棄するべき情報については、契約書を確認すればわかるはずです。

さらに、井上醸造のリリースには「研究活動の不正に関する窓口」に通報したものの、門前払いされたとあります。この「窓口」とは下記のものでしょう。

上記窓口における通報の対象には「捏造,改ざん,盗用,二重投稿,不適切なオーサーシップ,悪質な意図に基づく論文の不引用 など」とあります。実際に信州大学がどのような対応を行ったのかはわかりませんが、秘密情報の不正使用については、明確には通報の対象とはなっていないので、何ら対応しなかったということなのでしょうか。
しかしながら、営業秘密侵害は民事的責任だけでなく、刑事的責任も問われる違法行為であるため、本当に門前払いをしていたとあればその認識が甘く少々信じ難いことなのですが、その結果が今回の提訴なのでしょう。
また、上記のように、秘密情報が何であるのか、破棄の対象となっていた情報は何であるのかは、まずは井上醸造と信州大学との間の契約に基づいて対応するべきことは容易に理解できるはずなので、井上醸造から門前払いされたとリリースされるような対応はどのようなものだったのでしょうか。

このように、他社(今回は大学ですが)に自社の情報を正当に開示したものの、自社の思惑にないところで開示先が特許出願をしたというようなことは、知財関係者であれば少なからず耳にすることだと思います。
本提訴はまさにそのような事案が顕在化したものと思われ、裁判の行方が気になります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年5月20日月曜日

判例紹介:回転寿司チェーン店事件の元部長に対する刑事事件地裁判決(有用性)

前回紹介した、かっぱ寿司の前社長が前職であるはま寿司の営業秘密を不正に持ち出した事件に関連して、カッパ社及びその社員(元商品部長)が刑事告訴された地裁判決(東京地裁令和6年2月26日 事件番号:令4(特わ)2148号)の続きです。

本事件では被告人の弁護士は、はま寿司(F社)から転職してきた元社長がかっぱ寿司(被告会社)へ不正に持ち込んだ本件各データの有用性を否定するために以下のような主張を行っています。なお、元社長の裁判では、本件各データの秘密管理性、有用性、非公知性についての争いはなく、本件各データの営業秘密性が認められています。
①本件各データについて、いずれも、回転寿司業界においては、他社商品を参照する余地がない、仕入価格にも変動がある、F社において用いられる食材は連結親会社が仕入れており、その仕入価格が記載されていない。
②原価等情報データについて、原価を検討するに当たり必要な情報が記載されていない。
③仕入れ等情報データについて、仕入価格は規格等によって異なる、回転寿司業界において、仕入先は広く知られており、他社の仕入価格を基準に交渉することはできない。
すなわち、弁護士による主張は、本件各データはカッパ社の業務に用いることができないため有用性はない、とのような主張であると思われます。


上記の有用性に対する被告側の主張と同様の主張が被告側から行われることは稀にありますが、裁判所がこのような主張を認めた例はありません。本事件でも裁判所は以下のようにして被告側の主張を認めずに、本件各データは有用性があると判断しています。
しかしながら、有用性の要件については、当該情報が、営業秘密を保有する事業者の事業活動に使用・利用されているのであれば、基本的に営業秘密としての保護の必要性を肯定でき、当該情報が公序良俗に反するなど保護の相当性を欠くような場合でない限り充足され、当該情報を取得した者がそれを活用できるかどうかにより左右されない。このほか、被告会社の弁護人は、本件各データは被告会社にとっての有用性がないと主張するが、この主張は、その前提とする法解釈が採用できないものである上、被告会社内の一部の者において、実際に本件各データや、原価に関するF社との対照表が共有されたことと整合しない。被告会社の弁護人の主張は当を得ない。
本事件の特徴的なことは、被告会社内において本件各データを使用して作成されたデータが共有されています。仮に被告会社において本件各データを事業に用いることができないとするならば、本件各データの共有が行われるばずがありません。このため、本件各データが被告企業において共有してという事実が本件各データの有用性を被告会社自ら認めていることに違いないでしょう。

また、本事件では、元社長の有罪が既に確定しているので、ここで本件各データを営業秘密ではないとする判決はあり得ないようにも思えます。とはいえ、営業秘密を不正に持ち出した元社長と営業秘密が不正に持ち込まれた被告企業とのように立場が違っていても、裁判所における有用性の判断にブレがないことを確認できたという点では、弁護士の主張は意義のあるものとも思えます。

なお、弁護士は、本件各データに対する秘密管理性についても否定する主張を行っていますが、これも裁判所は認めていません。本件各データの非公知性については、さすがにこれを否定する主張はされませんでした。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年5月11日土曜日

判例紹介:回転寿司チェーン店事件の元部長に対する刑事事件地裁判決

本事件は、かっぱ寿司の前社長が前職であるはま寿司の営業秘密を不正に持ち出した事件に関連して、カッパ社及びその社員(元商品部長)が刑事告訴された地裁判決(東京地裁令和6年2月26日判決 事件番号:令4(特わ)2148号)です。
判決は、カッパ社に対して罰金3000万円、元商品部長に対しては懲役2年6月(執行猶予4年)及び罰金100万円ですが、控訴していますので確定ではありません。

この事件は、転職者だけでなく、転職先に在職していた従業員も営業秘密侵害で刑事告訴・起訴されて有罪となった事件であり、私が知る限りはじめての事件です(従業員が刑事告訴されても不起訴となった事件は過去にありました。)。

元商品部長(被告人B)は実際なにをしたのでしょうか。判決文では以下のように記載されています。なお、Cは、はま寿司から転職してきた元社長です。また、F社は、はま寿司です。
1 被告人Bの客観的行為
 ⑴ 証拠によれば、次の事実が認められる。
ア Cは、令和2年11月9日、被告人Bに対し、件名を「Jデータ」とし、本件各データを前記の各表題付きで添付した電子メールを送信した。被告人Bは、これを受信した後、同日、本件各データについて、自身が使用していた業務用パーソナルコンピュータに保存するとともに、その内容を確認した(判示第1柱書)。
イ 被告人Bは、同月25日、被告会社の当時の商品本部長H宛て及び商品本部商品部商品開発課長I宛てに、本件各データ等を添付した電子メールを送信した(判示第1の1及び2)。また、被告人Bは、Cの指示を受け、同年12月17日、本件各データを用いて、F社が提供する商品の原価と被告会社が提供する商品の原価とを比較したデータファイルを作成した上、Cに対し、これを添付した電子メールを送信し、さらに、同月21日、同データファイルについて、被告会社分につき物流費抜きの原価率を計上したものに更新した上、Cに対し、これを添付し、その分析をも加えた電子メールを送信した(判示第2)。
上記の行為により、裁判所は、被告人Bがパーソナルコンピュータに本件各データを保存した時点でF社の営業秘密を「取得」し、本件各データ等を添付した電子メールをH宛て及びI宛てに送信した時点でF社の営業秘密を「開示」し、原価等情報データを利用して比較を行ったデータファイルを作成した行為をF社の営業秘密を「使用」したと認定しています。

そして、被告人Bは下記不正競争防止法21条1項7号違反とされています。なお、下記不正競争防止法21条1項7号は、下記令和五年法律第五十一号による改正前のものです。
第二十一条 次の各号のいずれかに該当する者は、十年以下の懲役若しくは二千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
・・・
七 不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、第二号若しくは前三号の罪又は第三項第二号の罪(第二号及び前三号の罪に当たる開示に係る部分に限る。)に当たる開示によって営業秘密を取得して、その営業秘密を使用し、又は開示した者
なお、F社の本件各データを不正に持ち込んだCは、下記不正競争防止法21条1項3号ロ等違反で有罪となっています(東京地裁令和5年5月31日 事件番号:令4(特わ)2148号)。
三 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、次のいずれかに掲げる方法でその営業秘密を領得した者
・・・
ロ 営業秘密記録媒体等の記載若しくは記録について、又は営業秘密が化体された物件について、その複製を作成すること。

ここで、不正競争防止法21条1項7号違反では「不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で」とのように図利加害目的が要件となります。これについて、2016年発行の逐条解説 不正競争防止法のp.234には、下記のように記載されています。
② 要件
 (i)図利加害目的の係り方
本罪については、不正開示により営業秘密を取得した時点から違法性の認識が必要であると考えられるので、取得の時点及びその後の不正使用又は不正開示の時点の何れにおいても目的要件を満たさない限り、本罪は成立しない。
このように被告人Bの行為が違法であるとするためには、Cから受信した本件各データがF社の営業秘密であることを被告人Bが認識していた必要があります。しかしながら、被告会社の弁護人は「本件各データには「社外秘」等の表記はされていなかった」とも主張しており、この主張は被告人Bに違法性の認識がなかったことを主張しているのだと思います。これについて裁判所は以下のように判断しています。
2 被告人Bの故意及びCとの共謀
  ⑴ 被告人Bは、F社から転職して間がないCから、「Jデータ」とのF社の略称を使用した件名のメールを受信しており、かつ、添付に係る本件各データの表題は、「原価表」「J食材一覧……仕切値用」の文言を含むものであるから、そのメールの件名及び本件各データのファイル名自体からして、本件各データがF社の商品の原価、仕入れ等に関するデータであると容易に推知できたといえる。そして、被告人Bは、この受信の前後に、上司であるCから、本件各データを参考にするよう指示されており、その検討を約した後、本件各データをパーソナルコンピュータに保存し、その内容を確認していたのであるから、遅くとも、その保存、確認の時点までには、本件各データがF社の商品の原価、仕入れ等に関するものであることを認識したと認められる。また、このような内容に照らすと、F社がこれを秘密として取り扱うことは、F社の従業員に限らず、商品開発等に携わる者にとって容易に推知可能といえる。被告人Bの上司に当たる前記Hが、前記1⑴イの比較したデータファイルを閲覧して、被告人Bに対し、「これまずいよね。犯罪でしょ。」と言ったことも、このことを端的に表すものである。したがって、被告人Bにおいて、本件各データが営業秘密に該当するとの認識に欠けるところはない。
このように、裁判所は、F社の本件各データに秘密管理措置を示す表示がなかったものの、被告人Bは本件各データがF社の営業秘密であることを容易に推知可能であったと判断しています。
個人的には、この裁判所の判断は少々厳しいとも思えてしまいます。営業秘密に関する多くの裁判例では秘密管理措置が明確である必要があるとしているものの、本事件では秘密管理措置が明確でない本件各データに対して、被告人BがF社の営業秘密であることを「容易に推知」できたと認定しているためです。
例えば、企業の顧客情報は多くの人が当該企業にとって営業秘密であると「容易に推知」できると思いますが、当該顧客情報に対して秘密管理措置がなされていない場合には営業秘密とは認められません。ここでいう秘密管理措置とは、㊙マークを付したり、デジタルデータであればパスワード管理することです。このため、本事件では本件各データには㊙マーク等も付されていなかったことから、被告人Bが「容易に推知」できたと認定してもよいのか個人的には疑問に思えます。
しかしながら、本事件のように「容易に推知」できたとしなければ、転職者から取得した者(2次取得者)に対して不正競争防止法21条1項7号違反と言える場合は少なくなるようにも思えます。
また、判決文には「被告人Bの上司に当たる前記Hが、前記1⑴イの比較したデータファイルを閲覧して、被告人Bに対し、「これまずいよね。犯罪でしょ。」と言ったことも、このことを端的に表すものである。」ともあり、この証言によっても被告人Bが本件各データをF社の営業秘密であると認識できた、ということなのでしょう。

そして、裁判所は「商品開発等の検討をするため、これを所管する上司及び部下に本件各データを開示し、自らも原価を比較するため本件各データを使用」した被告人Bの行為が不正の利益を得る目的であるとしています。
これに対して、弁護人は「被告人BがCの指示を拒めなかった」ことを主張しましたが、裁判所は「このことは目的の認定に関わらない。」と判断しています。

上記「Cの指示を拒めなかった。」という被告人Bの証言は事実だと思います。社長の指示を拒めば被告人Bの立場が悪くなることはサラリーマンであれば容易に想像でき、本件各データがF社の生業秘密であると認識していても、被告人BはCの指示に従うという選択をしたのでしょう。しかしながら、これにより被告人Bまでもが営業秘密侵害で有罪判決を受けています。
では、被告人Bはどうすればよかったのでしょうか。考えられることは、被告人Bの上司であるHが「これまずいよね。犯罪でしょ。」と言ったことから、この上司であるHを介してCにF社の本件各データを使用等することが犯罪であることを伝え、社内の法務部や顧問弁護士と相談してF社にも伝えることが考えられます。
被告会社が自らF社にCが営業秘密を不正に持ち出したことを伝えることで、外形的には被告人Bや被告会社が違法行為をしていたとしても、F社に刑事告訴までされなかったかもしれません。

本事件のように、転職者が前職企業の営業秘密を不正に持ち出し、それを転職先で開示して転職先が使用することは、被告会社に限らず他の会社でも少なからずあると思います。そして、本事件のように転職先従業員が刑事罰を受けるという最悪な事態となることは今後もあるでしょう。
このため、各企業は、このような事態に陥らないようにする体制を整える必要があると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信