2024年11月28日木曜日

判例紹介:ノウハウに関する少々古い事件

今回は約20年前のノウハウに関する裁判例(大阪地裁平成13年3月23日判決 事件番号:平12(ワ)2408号)を紹介します。
本事件は、被告から懲戒解雇されて退職金不支給とされた原告が、懲戒解雇は不当であると主張して、退職金等の支払いと名誉回復措置としての謝罪広告の掲示を求めた事件です。具体的には、原告は退職にあたり「技術上の情報及び営業上の情報は一切持ち出しておりません。」とする誓約書を被告に提出したにもかかわらず、技術資料等の持出をしたことにより、懲戒解雇され、退職金不支給とされたものです。

原告が持ち出したとする被告の技術資料は下記のものです。
(1)設計図面
(2)設計計算書
(3)設計基準書
(4)試算資料(顧客から依頼のあった各装置の価格見積資料)
(5)トラブル報告書
(6)その他

原告は、下記のように自身が持ち出した技術資料の各々について、重要性はなく、懲戒解雇を相当とするようなものではなかった、と主張しています。
(一)本件設計基準書は、被告で使用頻度の高い標準部品類のJIS規格や業界規格を効率化のために抜粋したものにすぎず、そこに記載されている情報は市販の便覧等から知ることができるものばかりである。・・・
(二)本件トラブル報告書も、競合他社で同様のトラブルが必ず発生するというのであれば格別、決してそうではないから、競合他社には無用のものである。・・・
(三)本件試算資料はBAL全体の二割程度の試算資料であり、この資料からは、全体のコスト分析はできないのみならず、個別機械の価格構成、試算経過、購入品の発注先、価格、型番、輸出梱包費、管理費等は分からないし、国内と台湾との調達部品の区分けもなく、設計仕様も不明であり、肝心の電機計装類、据付工事費、電気工事費、設計費、試運転費用、監督費用等も分からないものである。・・・
(四)本件基準設計計算書は、三八年も以前のもので現在では古典的資料であり、ロール配列や皮膜の厚さは被告のカタログ他雑誌文献等にも掲載されていて公知のものであるし、被告の現行の仕様とも異なるものであって競合他社では見向きもしないものである。・・・
(五)本件設計図面(書証略)は、検討のために配送したものであって、原告は特定部分を選別する手間を省くため全部を複写したものである。本件設計図面にかかるラミネータ装置は、非常に複雑であって、顧客の運転時に立ち会った試運転経験者が理解できるだけのプロセスノウハウ及び運転ノウハウが重要となる装置であり、関連設備技術等の一貫したものがなければ製品として生産できるものではないし、高価格の高級設備であることから需要も乏しいものである。
要するに、原告は自身が持ち出した被告の技術資料は有用性又は非公知性を有していないため重要性はなく、法的に保護する価値がないとのように主張していると解されます。特に、トラブル報告書、基準設計計算書、及び設計図面に関する主張は、他社にとって利用価値が低いものであるとのようなものであり、このような主張は近年でも有用性を否定するために主張されることがあります。


このような原告の主張に対して裁判所は以下のように判断しています。
・・・第一に、一般的にも設計図面には種々の技術やノウハウが盛り込まれていると考えられるところ、本件設計図面は、・・・同業他社に漏れるなどすれば、被告の競争力に重大な影響を及ぼすことは明らかである。原告は、需要の乏しいものである主張したり、カタログ掲載図面(書証略)からでも製作できると供述したりしているが、・・・一般的な需要は少ないかも知れないが、被告にとってはラミネータ装置の技術やノウハウの現時点での集大成と考えられるし、右カタログ掲載図面は寸法などが記載されていない配置図であり、これからでも製作できるという原告の供述は暴論というほかない。本件設計図面を含む設計図一式が被告にとって重要な技術資料であることは明らかであり、これが重要でないという原告の主張は採用できない
第二に、一般的にも設計計算書には種々のノウハウが盛込まれていると考えられるところ、本件基準設計計算書等は、前記認定のとおり、技術資料としては、古いものであるとしても、基本的な思想や原理原則が示されていたり、被告独自の数値が記載されていたり、被告で現在でも利用されている現行の設計計算書でもあるというのであるから、これらの設計計算書も被告にとって重要な技術資料であると認められ、これらが古典的で公知であるなどとして重要でないという原告の主張は採用できない。
第三に、前記認定のとおり、本件設計基準書は、主として公的規格や実験データ等の集積であり、その個々のデータ自体は被告独自のものではないとしても、それを被告における設計の標準化、効率化のためにまとめたものであるから、そこには自ずと被告のノウハウが盛込まれているというべきであるし、被告の設計図面や設計計算書等を検討するときにも必要になるものと考えられる。被告が、番号登録して貸与とし、改廃、退社時に回収するなどしているのも、原告がいうように単なる経費削減のためなどというものではなく、右のような内部書面として重要性の故であると考えられる。したがって、本件設計基準書も被告にとって重要な技術資料であると認められ、これらが公知であるなどとして重要でないという被告の主張は採用できい。
第四に、一般的にみても試算資料には原材料費と利益等種々の営業上の情報が盛り込まれていると考えられ、主として営業上の観点からこれが顧客や競合他社に流出するときは、商談等に重大な影響を及ぼすことは明らかというべきところ、本件試算資料は、前記認定のとおり、機械設備一式を含むもので、被告にとって社外流出を防止しなければならない重要な資料と認められ、単なる部分的なものであるがゆえに重要性がない等という原告の主張は採用できない。
第五に、一般的にみてもトラブル報告書は、これが外部に流出するときは、被告及び顧客の信用にかかわるうえ、競合他社からの攻撃材料に利用されるなどする危険をはらむものというべきところ、本件トラブル報告書も、前記認定のとおり、そのようなトラブル報告書の一つであり、しかも、被告のノウハウに属する資料まで添付されたものであったのであり、被告にとって重要な営業上及び技術上の資料であったと認められ、他社にとっては無意味である等の理由で重要でないなどという原告の主張は採用できない。
上記のように、裁判所は、トラブル報告書及び設計図面に関する有用性を否定する原告の主張を裁判所は認めませんでした。
しかしながら本事件の裁判所の判断では、全体的に各ノウハウの判断基準は被告にとって重要であるか否かを重視しているように思えます。具体的には、設計計算書や設計基準書については、非公知性を喪失している可能性があるようにも思えるものの、被告にとって重要であるとして原告の主張を認めませんでした。
ノウハウがその保有者にとって重要であるか否かは、近年の裁判例では判断基準となっていないと思います。このため、仮に設計計算書や設計基準書の全体が公知若しくは公知の情報の寄せ集めであれば、これらに記載のノウハウは近年の判断基準では法的保護の対象とはならないかもしれません。

一方で、本事件は、原告に対する懲戒解雇の適否を争っているものであり、原告が持ち出した情報の非公知性の有無よりも被告における重要性を重視しているとも考えられます。すなわち、被告の就業規則には「七一条 従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒解雇に付する。 二号 業務上の機密を社外に漏らしたとき。」とあり、「機密」を「被告にとって重要な情報」とのように解釈すると、持ち出された情報の非公知性の有無はさほど重要ではないとも考えられます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年11月20日水曜日

刑事事件:自社による積極的な他社営業秘密の不正取得

先日、競合他社から顧客情報を不正取得して使用したとして、ガス事業会社の従業員3名が逮捕された事件がありました。 千葉県での事件であり、大きくは報道されていませんが、自社の従業員が自社の業務に関連して逮捕されるという事件です。


報道によると、この従業員3名が所属するガス事業会社と競合他社との間では、事業譲渡の協議が行われたものの、合意には至らなかったという経緯があるようです。そして、逮捕された従業員は、競合他社に対しては「許可を受けている」との嘘を言って顧客情報を持ち出したようです。

このように他社の営業秘密を取得することは、営業秘密侵害の規定が不正競争防止法で定められる以前は大きく問題にならなかったかもしれません。逆にそれを良しとしていたかもしれません。しかしながら、現在では当該顧客情報が営業秘密であれば刑事罰を伴う違法行為です。

そして、この不正取得は、エリアマネージャーの指示によって支店長等が行ったようでもあり、支店長等は上司の指示に従って”仕事”として行ったつもりでしょう。しかしがら、たとえ、上司の指示であっても犯罪行為には違いなく不問となることはありません。このことははま寿司からかっぱ寿司に転職した事件でも明確です。


また、他社の顧客情報の不正使用は露呈し易いかと思います。
ガス会社のような被害企業は自社との契約解除を行う顧客が多く発生した場合には、当然、その原因を探るでしょう。その結果、今回のように顧客情報の不正取得が露呈するかもしれません。また、懇意にしている顧客から、競合他社から営業を受けたとのようなことが報告されるかもしれません。実際にこのように顧客からの情報によって営業秘密侵害が発覚した事例もあったようです。

このような事件を防ぐためにも、本ブログでも度々述べているように、自社従業員に対する営業秘密に関連する教育と自社での報告相談制度の確立が必要であると思います。
教育とは、自社の営業秘密を転職時等に持ち出すことのみならず、他社の営業秘密を不正取得したり、不正使用したりすることが違法であるということを従業員に認識させるための教育です。
このような教育は、従業員だけでなく、社長を含む役員等にも必須の教育であると思います。実際にかっぱ寿司の事件のように、社長が部下に営業秘密侵害という犯罪行為を仕事として指示することがあるためです。今回の事件でも、上司であるエリアマネージャーが部下である支店長に指示を行っているようです。
このような犯罪行為の指示が上司から行われた際には、その部下は当該行為が良くないことと思いつつも、上司の命令に逆らえずに実行せざる負えない立場となるでしょう。そのようなことを防止するためにも、上記の指示をうけた部下が報告相談を行う部署を設けるべきかと思います。なお、この部署は、営業秘密に精通している法務部や知的財産部となるのでしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2024年11月11日月曜日

判例紹介:ノウハウの判断基準

営業秘密ではなくノウハウの法的保護についての裁判例を最近紹介しています。今回の裁判例は東京地裁令和4年9月16日判決(事件番号:令3(ワ)30231号)です。

本事件の原告は、インターネット上でのライブ配信活動を行う者(ライバー)のマネジメント事務所を運営しています。原告と被告は被告を原告の代理店としてライバーの勧誘業務やマネジメント業務を委託する代理店業務委託契約を締結していところ、被告が同契約に違反して原告の同業他社のためにライバーのマネジメント業務等を行ったとして、原告が被告に対して債務不履行等を主張したものです。
具体的には、被告は原告事務所に所属していたBの担当マネージャーとなり、Bのマネジメント業務を担当したものの、被告はライバーのマネジメント事務所△△を運営するa社との間で代理店となる契約を締結し、Bは△△を所属事務所としてライブ配信活動を行ったようです。

ここで、原告と被告との間で締結された代理店業務委託契約には競業禁止条項があり、この競業禁止条項が公序良俗に反するか否かが争点となっています。競業禁止条項を設定する目的として、原告のノウハウの流出を防ぐという目的があります。そして、競業禁止条項に反した場合には、500万円の違約金が発生する違約金条項が定められていたようです。そこで、原告は、被告に対して代理店業務委託契約に違反したとして、この契約に基づき500蔓延の支払いを求めました。


このため、本事件において原告は原告のノウハウを以下のように主張しました。
原告は、ライバーマネジメント業務のノウハウ、ライブ配信事業の経営ノウハウ、ライブ配信活動のノウハウなど多くのノウハウを代理店に提供している。本件契約においても、原告は、被告に対して、契約締結前の個別説明会や契約締結後の被告からの個別の問合せに答える形で多くのノウハウを提供した。このようなノウハウは、原告の営業秘密として要保護性が高い情報であり、これが外部に流出すれば、原告がこれまでかけてきたコストが無駄になるだけでなく、ライブ配信業界における原告の競争力が失われてしまうのであるから、競業禁止条項を設けることには正当な目的がある。
これに対して、被告は以下のように反論しています。
原告は、ノウハウを被告に伝授したと主張するが、原告は、代理店加盟希望者に一般的に配布している個別説明会資料や被告とのLINEのやりとりを示すにすぎない。原告が、被告に対して、秘密管理性・非公知性・有用性を有するような重要なノウハウを伝授したことはない。
そして、裁判所は、原告主張のノウハウについて以下のように判断しています。
本件競業禁止条項の違反について定められた違約金は、損害賠償の予定と解されるところ、原告の提出する証拠によっても、原告が被告に提供していた情報等の有用性や非公知性が、ノウハウとして高度のものであるとまで認めることはできない。
このように裁判所は、原告主張のノウハウは有用性や非公知性が高度のものでないとして、その法的保護を認めませんでした。すなわち、裁判所は被告の主張を認めたこととなります。
この判決でも、ノウハウの判断基準は有用性と非公知性の2つであることを示唆しています。しかしながら、この2つを一括りとして高度でないと裁判所は判断しているため、有用性が高度でないのか、非公知性が高度でないのかが判然としません。
ここで、被告が「代理店加盟希望者に一般的に配布している個別説明会資料や被告とのLINEのやりとりを示すにすぎない。」と主張していることから、原告主張のノウハウは既に公知とされている資料に記載の内容と同様であると裁判所は判断しているようにも思えます。そうすると、原告主張のノウハウは非公知性を有していないこととなります。
また、原告は「被告からの個別の問合せに答える形で多くのノウハウを提供した。」との程度の主張しか行っていないことから、本事件において、原告主張のノウハウの特定が十分に行われていなかった可能性も考えられます。

なお、裁判所は、Bを△△に所属させたことは、被告による引抜行為であるとも判断し、被告は原告に対して違約金100万円を支払えという判決となりました。

弁理士による営業秘密関連情報の発信