2024年1月28日日曜日

判例紹介:高裁で無罪判決となった営業秘密侵害事件(刑事事件)

営業秘密侵害の刑事事件でも、まれに裁判において無罪判決となる場合があります。
今回紹介する事件は、地裁判決(札幌地裁令和5年3月17日判決 事件番号:令3(わ)915号))において有罪であったにもかかわらず、高裁判決(札幌高裁令和 5年7月6日判決(事件番号:令5(う)74号))において無罪となった事件です。

本事件の概要は高裁判決文において以下のように記されています。
本件は、自動車部品の仕入れ及び販売等を業とするa社(以下、略称等は原判決のそれに従う。)の従業員として、同社から同社の営業秘密である同社の販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元帳を示されていた被告人Y1が、(1)Aと共謀の上、不正の利益を得る目的で、令和2年10月27日、被告人Y1が同社の前記得意先電子元帳を管理する同社サーバコンピュータにアクセスし、同得意先電子元帳の、得意先b社及び仕入先c社に係る本件情報①を記録したファイルをa社から貸与されていたパーソナルコンピュータに保存し、その複製を作成する方法で同社の営業秘密を領得し(原判示第1)、(2)被告人Y2と共謀の上、不正の利益を得る目的で、同月28日、被告人Y1が同社の前記サーバコンピュータにアクセスし、同得意先電子元帳の、得意先d社に係る本件情報②を表示し、SNSアプリケーションソフトLINEの画像キャプチャ機能を利用して本件情報②を画像ファイルとして記録してその複製を作成する方法でa社の営業秘密を領得した(原判示第2)という事案である。原判決は、いずれの事実についても有罪と認め、被告人両名をいずれも罰金30万円に処した。
このように、被告人Y1,Y2は、被害企業であるa社の販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記録された得意先電子元帳のb社、c社、d社の情報(本件情報)を持ち出しています。このように企業の得意先の情報の履歴は一般的には公知とされず、秘密として扱う企業も多いかと思います。
なお、被告人Y2はa社の元従業員であり、その後にf社を設立しています。また、上記で登場するAもa社の元従業員であり、その後にf社に入社して営業を担当していました。そして、被告人Y1,Y2及びAは「f社」という名のLINEトークグループを作成し、データのやり取りをしていたようです。

ここで、地裁、高裁共にa社の本件情報に対する有用性、非公知性を認めているものの、地裁と高裁とでは本件情報に対する秘密管理性の判断が異なるものとなりました。

まず、地裁による秘密管理性の判断は以下のようなものでした。
△△システムへのアクセス方法について検討する。本件情報は△△システムで保管されていて、本件情報にアクセスするためには、a社共通のアカウントに加え、個々の従業員のログインID及びパスワードの入力が求められる仕組みとなっていた。△△システム起動のためのUSBキーは従業員用パーソナルコンピュータに事実上挿したままの状態であったとはいえ、アカウント等の管理により本件情報にアクセスできる者を従業員に限定していたといえる。実際には、a社のアルバイトや委託業務者も△△システムを使用していたが、△△システムを立ち上げる際には従業員がIDやパスワードを入力しており、アカウント等を用いた本件情報へのアクセス制限の実効性が失われていたとはいえない。また、アルバイトらが△△システムを使用し本件情報にアクセスすることができる状態にあったとしても、これらの者はa社の指揮監督に従って同社の業務に従事している点では従業員と同様の立場であり、また、これらの者が△△システムを使用するのは伝票再発行等の業務上必要な場合であった。
以上のような△△システムへのアクセス方法は、△△システムで保管されている本件情報が秘密であることを十分認識させるものであったといえる。
地裁では、本件情報へアクセスするためには△△システムにIDとパスワードを入力しなければならず、それを持って本件情報の秘密管理性を認めたようです。


一方で、高裁による秘密管理性の判断は以下のようなものです。
まず、本件情報は△△システム内の得意先電子元帳内に保管されていた情報であるところ、△△システムにアクセスする際には、原判決が適切に認定しているとおり、USBアクセスキーを挿入し、企業認証ログイン画面において、a社共通の企業認証アカウントを入力し、更に従業員ログイン画面において、各従業員に付与されたIDとパスワードを入力するといった手順が要求されている。もっとも、△△システムには、本件情報のような営業秘密にかかわるものに限らず、在庫数や日報といった機能も搭載されており、上記の手順は、本件情報を含む営業秘密に属する情報へのアクセスのみならず、△△システムに搭載された諸機能を利用するために要求される手順にすぎないとも考えられる。また、△△システムは、上記のように多岐にわたる機能が搭載されているため、a社の従業員であれば、自己に付与されたID及びパスワードを用いてアクセスすることができ、得意先電子元帳自体にアクセスする際に新たにパスワード等の入力を求めるなどといった制限は設けられていなかった。そうすると、本件情報を含む得意先電子元帳に記録されている情報に接する従業員において、a社が当該情報をその他の秘密とはされない情報と区別し、特に秘密として管理しようとする意思を有していることを明確に認識できるほど、客観的な徴表があると認めることはできず、△△システムにアクセスする際に、IDやパスワード等を入力するなどの手順を要するということのみでは、a社が十分な秘密管理措置を講じていたと認めることはできないというべきである。
このように高裁では、△△システムにアクセスするためにはIDとパスワードの入力が必要であることを認めているものの、△△システムは本件情報だけでなく在庫数や日報といった機能も搭載されていることをもって、本件情報の秘密管理性を認めませんでした。
すなわち、△△システムを用いて従業員がアクセスできる情報には、本件情報だけでなく様々な情報が含まれるため、△△システムのIDとパスワードは本件情報に対する秘密管理措置とは認められないと判断したようです。
このように、営業秘密と主張する情報とその他の情報が混在して管理されていたために、営業秘密とする情報に対する秘密管理性を従業員等が認識できないとして、当該情報の営業秘密性が認められなかった例は他にもあります。

例えば、民事事件である接触角計算プログラム事件 (知財高裁平成28年4月27日、事件番号:平成26年(ネ)10059等、東京地裁平成26年4月24日判決等)です。
この事件は、被控訴人(一審原告)が営業秘密と主張する原告アルゴリズムが表紙中央部に「CONFIDENTIAL」と大きく印字され,各ページの上部欄外に「【社外秘】」と小さく印字された本件ハンドブックに記載されていました。このような措置は一見、原告アルゴリズムに対する秘密管理措置とも思われます。
しかしながら、本件ハンドブックは、公知の他の情報も記載されており、また、本件ハンドブックを顧客にも見せていたため、従業員は本件ハンドブックのどの部分の記載内容が秘密であるかを認識することが困難であった、として本件アルゴリズムの秘密管理性が否定されました。

今回の刑事事件は、まさに接触角計算プログラム事件と同様の判断であり、過去の判例に基づくと、無罪判決とした高裁の判断は妥当であるとも思われます。
このように、営業秘密とする情報は、それが秘密であることを従業員が認識できるように直接的な秘密管理措置を行う必要があります。本事件の例では、△△システムで営業秘密とする本件情報を管理するのであれば、△△システムを介して本件情報にアクセスして場合にはに、本件情報が秘密であることを認識させるためのアラート等を発したり、画面の分かり易い位置に秘密であることを示す表示を行う等の措置が必要であったと思います。

なお、地裁において被告人の弁護人は、下記のように高裁の判断と同様の主張を行っていました。しかしながら、地裁は弁護人の主張を認めなかったという経緯もあります。すなわち、高裁は、地裁のこのような判断を真っ向から否定したものとなります。
弁護人は、各従業員に割り当てられていたIDとパスワードは、在庫数や日報といった機能を含めた△△システムのシステムを使用するためのものにすぎず、得意先電子元帳にアクセスするためのものではないから、本件情報を秘密として管理しているとはいえないと主張する。しかし、△△システムへのアクセスを制限することは、本件情報も含めて△△システムで管理されている情報についてアクセスを制限していることにほかならない。弁護人の主張が、本件情報のみに限定して管理する措置が必要という趣旨であるとすれば、そのように限定する理由はないというべきであり、前記のとおりの本件情報の性質や後記の警告画面等の事情と相まって、本件情報の秘密管理性を十分根拠付けるものというべきである。
弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2024年1月18日木曜日

判例紹介:従業員が会社に秘密保持誓約書を提出しなくても秘密管理性が認められた事例

所属している会社から秘密保持誓約書の提出を求められる場合があるかと思いますが、秘密保持誓約書を提出しなければ、会社の営業秘密を持ち出しても大丈夫なのでしょうか。
東京地裁平成14年12月26日中間判決(事件番号:平12(ワ)22457号)はこのような事例について争った裁判例です。

本事件は、人材派遣事業等を行う原告会社の元従業員であった被告A及びBが人材派遣事業等を行う被告会社を設立し、被告A及びBが原告の営業秘密である派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報を被告会社に不正に開示したというものです。なお,被告A及びBは各々、原告会社の取締役営業副部長、原告会社の取締役営業部長でした。

まず、裁判所は、派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報が原告会社においてコンピュータとスタッフカード(帳簿)によって管理されており,その両方において下記のように秘密管理性を認めました。
本件においては,上記ア(ア)~(ウ)に認定のとおり,派遣スタッフ及び派遣先の事業所の情報が様々な形態で存在するが,このうち,上記情報のコンピュータにおける管理状況は,ア(ア)に認定したように,秘密であることの認識及びアクセス制限のいずれの点でも,秘密管理性の要件を満たすものと認められる。・・・
これらのスタッフカードについては,利用の必要のある都度,コーディネータあるいは営業課員により複写機でコピーが作成されて,営業課員がこれを持ち歩くこともあったというのであるが,これらのコピーの作成とその利用は,スタッフカードのうちの数名分について一時的に行うものであって,・・・,業務の必要上やむを得ない利用形態と認めることができる。また,営業課員が自分の手帳等に自己の担当する派遣スタッフや派遣先事業所に関する情報を転記して携帯していたことも認められるが,・・・,その必要上やむを得ない利用形態と認められる。他方,前記ア(エ)において認定したとおり,原告会社では,派遣スタッフや派遣先事業所の情報の重要性やこれらを漏洩してはならないことを研修等を通じて従業員に周知させていたうえ,該当部署の従業員一般との間に秘密保持契約を締結して秘密の保持に留意していたものである。

一方で被告A及びBは、原告会社から求められた秘密保持誓約書を提出していませんでした。このため、被告A及びBは、原告会社が一部の従業員から秘密保持誓約書を徴していたとしても、派遣スタッフ及び派遣先事業所に関する情報を秘密と認識できた根拠とはならない、とのように主張しました。被告A及びBが秘密保持誓約書を提出しなかった点に関して、裁判所は下記のように判断しました。
なお,被告B及び被告Aは,誓約書を差し入れていないが,他の従業員との間に秘密保持契約を締結した当時,被告Bら両名は既に取締役であったためにたまたま誓約書を差し入れていないというにすぎず,上記情報の重要さについては一般の従業員以上に知悉していたというべきであるから,このことをもって秘密として管理されていないとはいえない。
そして裁判所は、原告会社が保有する営業秘密を被告A及びBが使用して被告会社に開示した行為、及び被告会社が被告A及びBから各情報の開示を受け、これを取得して使用した行為はいずれも不正競争行為に該当すると判断しました。

本事件では、被告A及びBが秘密保持誓約書を提出していなかったものの、原告会社に所属していたときの被告A及びBの役職(取締役営業副部長又は取締役営業部長)も考慮にいれて、被告A及びBは原告会社が保有する派遣スタッフ等に関する情報が秘密であると認識できたと裁判所は判断しています。

このように,営業秘密とする情報に対する秘密管理措置が適切であれば,秘密保持誓約書を提出しなかったことをもって秘密の認識が否定されることはないと考えられます。一方で、下記のブログ記事で紹介したように、秘密保持誓約書の提出を拒否しても、会社が情報の秘密管理をしていなければ、当然、当該情報は営業秘密とは認められません。すなわち、情報の秘密管理性は、当該情報に対する秘密管理措置の実態に基づいて判断され、秘密保持誓約書のみをもって秘密管理性が認められる可能性は低いでしょう。


弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2024年1月8日月曜日

昨年末に報じられた営業秘密侵害事件(刑事事件)

昨年末には、下記のように営業秘密侵害事件(刑事事件)に関連する報道がいくつかありました。

・回転寿司チェーン店事件

かっぱ寿司の前社長が前職であるはま寿司の営業秘密を不正に持ち出した事件について、カッパ社及びその従業員も刑事告訴されていましたが、これに対して検察側の求刑が12月22日にありました。なお、前社長の有罪は既に確定しています。

そして、求刑から5日後の27日にはま寿司は、カッパ社や前社長に対して5億円の損害賠償等を求める民事訴訟を行いました。

これは、刑事告訴によりカッパ社が有罪となる可能性が高いと見通したタイミングで民事訴訟を提起したのだと思います。
カッパ社が有罪となると、持ち出された営業秘密をカッパ社が不正使用したことが認められたということになります。そうすると、民事訴訟では、実質的に損害論のみとなり、はま寿司にとって民事訴訟の負担は小さくなり、かつ民事訴訟でも勝訴する可能性は高くなります。
このように、刑事告訴を行い、その後に民事訴訟という流れは営業秘密の侵害事件においてよく用いられる手法のようです。

・航空保安情報事件

この事件は、航空会社であるオリエンタルブリッジ(ORC)の元管理職がトキエアに転職する際に、ORCの保安対策に関する情報を持ち出したというものです。この元従業員は、昨年の8月に書類送検されたものの、「起訴するに足りる証拠がないため」として不起訴となりました。

「起訴するに足りる証拠がない」とは具体的にどのようなことなのか報道からは分かりません。しかしながら、書類送検されたときに元管理職は「次の会社の業務に役立つかもしれないと思い、持ち出した」と証言していることから、当該情報の持ち出しはあったのでしょう。また、上記読売新聞の報道によると、「こうした秘匿性の高い情報を閲覧できる社員は限られていたが、男は立場上、閲覧に必要なパスワードを知っていたという。」とあることから、当該情報は秘密管理性を満たしていた可能性があります。
それにも関わらず、「起訴するに足りる証拠がない」ということは、当該情報は非公知性を満たしていなかった、すなわち誰にでも容易に入手できる情報であったのかもしれません。
仮にそうであったとすると、非公知の情報と公知の情報とが混在して秘密管理されていることとなり、営業秘密管理として問題のある管理方法であった可能性があります。


また、上記読売新聞の報道によると、トキエアは転職者は管理職扱いであったものの、降格処分とし、さらに、トキエア内での当該情報の開示がなかったものの、転職者が作成に関与したトキエアの安全管理規定を作り直したとのことです。
ここで、トキエアによるこのような対応は正しかったのでしょうか。そもそも、トキエア内での当該情報の開示がなかったのであれば、安全管理規定の作り直しは過剰な対応であったと思えます。さらにトキエアは、この転職者を降格処分としていますが、書類送検の段階でそのような処分を行うことは果たして適切だったのでしょうか。

実際、営業秘密侵害の刑事事件は、逮捕や書類送検されても不起訴となる場合が多々あります。不起訴となる理由は公開されませんのでわかりませんが、持ち出したとされる情報がそもそも営業秘密ではない可能性もありますし、持ち出し又は使用そのものが不法行為でない場合もあります。また、転職者も営業秘密に対する理解が不十分であることが多々あるため、「営業秘密を不正に持ち出した」とのような証言を行う可能性があります。しかし、このような証言を行ったとしても、不起訴となる可能性もあります。
このため、逮捕や書類送検の段階で転職者に対する処分を行うことについては、相当の熟慮が必要であると思います。

・車載電装機器事件

この事件は、アルプスアルパインの元従業員であって、ホンダに転職して中国籍の会社員がアルプスアルパインの車載電装機器に関する営業秘密を不正に持ち出したというものです。

本事件の捜査は警視庁公安部が行っています。
営業秘密侵害事件において警視庁公安部が捜査する場合とは、おそらく中国、ロシア、北朝鮮等の外国政府が関与している事件であると思われます。
警視庁公安部が捜査した事件としては、中国籍の研究員が産総研から営業秘密を漏洩させた事件や、ソフトバンクの5G基地局に関する情報をロシア外交官に漏洩させた事件があります。

このような事件を捜査している警視庁公安部が、アルプスアルパインからの情報漏洩に関する本事件も捜査しているということは、本事件も単なる転職者が前職企業の営業秘密を持ち出したという事件ではないのかもしれません。すなわち、ホンダも被害企業の立場であり、アルプスアルパインだけでなくホンダの営業秘密も持ち出され、海外に流出しているのかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信