2023年10月16日月曜日

判例紹介:取引先との間の秘密保持契約による秘密情報の特定

自社の営業秘密を取引先等に開示する場合、秘密保持契約を締結するかと思います。その秘密保持契約には、秘密保持の対象となる情報の特定方法が規定されている場合も多いでしょう。この特定を行わないまま開示した情報の取り扱いはどのようになるのでしょうか。

このような判決がなされた裁判例が大阪地裁令和5年8月24日判決(令3(ワ)11898号)であり、本事件は、原告が被告との間で販売代理店契約を締結し、原告が被告に対し契約保証金300万円を支払ったものの、その後、本件代理店契約を解除したにもかかわらず、代理店契約終了時に返還が予定されている被告からの上記保証金の返還がないと原告が主張したものです。これに対して、被告は、原告が被告の営業秘密を不正使用したので、これが原告の被告に対する契約保証金返還債権と対当額で相殺する旨の意思表示をしました。

ここで、被告と原告とは下記のような秘密保持契約を締結していました。
2条(秘密情報)1項
本契約において、「秘密情報」とは、本契約の有効期間中に、本検討に関して相手方から提供または開示された技術上または営業上の情報および資料(この情報および資料にはサンプル、製造図面、分析検証データ、報告書等およびノウハウを含む。以下、同じ。)のうち、次の各号に定めるものをいう。
(1) 電子的記録媒体、書面その他有体物…または電子メール…にて開示または提供され、当該有体物および当該電子メールに秘密である旨が明示されているもの。
(2) 口頭で開示された情報の中で、秘密情報である旨が開示者により開示時に明示され、かつ、開示日より30日以内に、その開示内容を書面化し、秘密情報である旨を表示したうえで、開示者より受領者に送付または届けられたもの。
上記(2)のように、本秘密保持契約では「口頭で開示された情報の中で、秘密情報である旨が開示者により開示時に明示され、かつ、開示日より30日以内に、その開示内容を書面化し、秘密情報である旨を表示したうえで、開示者より受領者に送付または届けられたもの。」が秘密情報として特定されると規定されています。

しかしながら、被告は、下記のように秘密情報の特定を行っていないことを認めつつ、原告は秘密保持義務違反等があると主張しました。
被告は、本件秘密保持契約書2条1項に従った秘密情報の特定をしていないが、本件各情報が被告の秘密情報であることは、被告と原告との間で当然の前提とされていた。
ところが、原告は、被告製品の図面等の被告の秘密情報を用いて模倣し、被告製品と同種の油化炭化装置である「パイロリナジー」(以下「原告製品」という。)を製造して、令和4年3月1日から販売している(乙17、18)。
したがって、原告には、本件各契約に基づく秘密保持義務、善管注意義務ないし秘密情報の目的外使用禁止義務に違反した債務不履行がある。
これに対して裁判所は、秘密保持契約の規定に従い、下記のように被告の主張を認めませんでした。
本件秘密保持契約における「秘密情報」というためには、本件秘密保持契約書2条1項に定めるとおり、契約有効期間中に相手方から提供又は開示された情報及び資料であって、開示又は提供された有体物及び電子メールに秘密である旨が明示されているもの、もしくは、口頭で開示された情報の中で、秘密情報である旨が開示者により開示時に明示され、かつ、開示日より30日以内に、その開示内容を書面化し、秘密情報である旨を表示したうえで、開示者より受領者に送付又は届けられたものであることを要すると解される。
しかし、被告が本件秘密保持契約に基づき秘密が保持されるべき秘密情報である旨主張する本件各情報について、同項に従った特定が行われていないことは当事者間に争いがないから、本件各情報は、本件秘密保持契約における「秘密情報」には当たらず、原告が本件秘密保持契約に基づく秘密保持義務、善管注意義務(本件秘密保持契約書3条)、及び、秘密情報の目的外使用禁止義務(同4条)を負うことはないというべきである。

また、被告は、上記秘密保持契約とは別途締結した代理店契約書24条に原告が違反する、とも主張しました。なお、代理店契約書24条は下記のとおりです。
1 甲(被告)または乙(原告)は、お互いに本契約における取引等で得た事項を第三者に漏洩してはならない。
2 甲は乙に提供する「本製品」製造の技術ノウハウと知識を日本において、乙に提供することと使用させることを保証する。乙は自身で甲の提供する「契約製品」製造の技術ノウハウと知識を使用する。乙は該当技術ノウハウ或いは知識或いは設備を第三者に提供してはならない。
しかしながら、これについても裁判所は、下記のように被告が主張する代理店契約書24条に基づく原告の秘密保持義務違反を認めませんでした。
原告と被告とは、本件代理店契約を締結するに伴い、それに先立って本件秘密保持契約を締結したものであるから(乙19、証人P1、同P2)、本件代理店契約書24条にいう「秘密」は、本件秘密保持契約における「秘密情報」と同様に解するのが契約当事者の合理的意思に合致するというべきである。
前記(2)のとおり、本件各情報は本件秘密保持契約における「秘密情報」に当たるとは認められないから、本件代理店契約書24条の秘密保持義務の対象となる「秘密」に当たるともいえない。
したがって、原告に同条に基づく秘密保持義務違反があるとの被告の主張は採用できない。
また、被告は「本件各情報が被告の秘密情報であることは、被告と原告との間で当然の前提とされていた」と主張していますが、裁判所はこれも認めませんでした。

さらに、被告が自身の営業秘密であると主張した本件各情報についても、「本件各情報につき、被告による管理の意思が客観的に認識可能であったとは認められない。」等の理由から、その営業秘密性が認められませんでした。

以上のように、取引先に自社の情報(営業秘密)を開示する場合には、秘密保持契約に規定されている営業秘密の特定方法に沿った方法で行わないと、相手方との間で当該情報が営業秘密であるとは認められません。これは、相手方との間で締結した契約書に定めれていることであるため、当然のことでしょう。
また、相手方に開示する情報が営業秘密であると主張するのであれば、当該情報が自社においても秘密管理しなければなりません。

このように、取引先との間で秘密保持契約を締結したからといって、取引先に開示した情報が営業秘密であると認められるものではなく、契約に沿った特定や管理を適切に行う必要があります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2023年10月5日木曜日

兼松の営業秘密流出事件 転職者による不正な営業秘密流入の抑制

先日、総合商社である兼松の元従業員が競合他社である双日に転職する際に、兼松の営業秘密を持ち出したとして逮捕されました。この事件は、今年の4月に双日に家宅捜索が入った事件であり、家宅捜索から約半年後の逮捕となっています。なお、この元従業員は、双日に家宅捜索が入った翌月には双日を懲戒解雇となっているようです。

・当社元社員の逮捕について(双日株式会社 リリース)
・元従業員の逮捕について(兼松株式会社 リリース)
・逮捕の双日元社員「弱い立場の派遣社員を利用」 うそつき秘密入手か(朝日新聞)
・双日元社員逮捕 営業秘密侵害疑い、DX・転職増でリスク(日本経済新聞)
・双日「組織的関与、把握ない」 元社員逮捕受けコメント(産経新聞)
・「双日」元社員を逮捕、前の勤務先「兼松」から営業秘密を不正持ち出しか…元同僚のID使う(読売新聞)
・双日の30代元社員を逮捕 前職の営業秘密を持ちだした疑い(毎日新聞)

報道によると、兼松の元従業員は退職直前の6月に3万7000にも及ぶファイルをダウンロードして不正に取得したようです。

ここで、どのようにして企業が営業秘密の不正取得を知り得るのか?との質問を受ける場合があります。これについては、多くの企業はデータに対するアクセスログ管理を行っていますので、自社の従業員が退職を申し出た際に過去数か月のアクセスログを確認し、不必要と思われるデータに当該従業員がアクセスしていないかを調べることで不正な持ち出しの有無を検知します。例えば、今回の事件のように、退職を申し出る直前の短期間に多量のデータをダウンロードしている形跡があると、営業秘密の不正な持ち出しの可能性が疑われます。
このため、アクセスログ管理を適切に行っている企業は、退職者が営業秘密を不正に持ち出しているか否かを比較的早期に検知できます。過去には退職を申し出た従業員が実際に退職するまでの間に、営業秘密の不正な持ち出しを検知し、懲戒解雇とした事例もあるようです。
今回の事件では、3万7000ものデータをダウンロードしており、通常業務でこの量のデータをダウンロードするとは考え難いため、転職に伴う不正な持ち出しであると判断できたでしょう。

さらに、元従業員は兼松の元同僚(派遣社員)からIDとパスワードを聞き出して、退職後にも兼松の営業秘密を不正に持ち出したようです。この元同僚は、元従業員に頼まれただけであり、不正の目的等は無かったと思われるので刑事罰を受けることは無いと思います。しかしながら、兼松で使用しているIDとパスワードを外部に漏らしたということは、兼松の規則に反する行為でしょうから、兼松から何らかの処分を受ける、若しくはすでに受けていると思われます。


一方、双日についてですが、兼松の元従業員に営業秘密を不正に取得することを指示していたり、双日社内で当該営業秘密が開示・使用されたりしなければ、特段の責任はありません。双日社内での営業秘密の開示・使用等の有無はこれから明確になるでしょう。

また、双日は本事件に関するリリースを発表しています。このリリースの中には、以下のような記載があります。
”特に、情報管理に関しては、キャリア入社社員に対して、前職で業務上知り得た機密情報を当社に持ち込まないことについて明記した誓約書を入社時に差入させるなどの未然防止および社員の教育と啓蒙に努めてまいりました。”
上記のように"前職で業務上知り得た機密情報を当社に持ち込まないことについて明記した誓約書"を転職者に求めることは非常に重要だと思います。この誓約書により、自社が他社の営業秘密を持ち込むことを良しとしない、という意思表示にもなりますし、もし転職者が前職の営業秘密を持ち出していても、自社で開示や使用することを抑止できる可能性があります。
ここで、自社への転職者による前職企業の営業秘密の持ち出しを防止することは困難です。この営業秘密の不正な持ち出しは前職企業内での行為であり、持ち出しを行ったときには、転職者は未だ前職企業の従業員であるためです。
しかしながら、仮に転職者が前職企業の営業秘密を持ち出したとしても、当該営業秘密が自社で開示や使用されなければ、自社が責任を問われることはありません。このため、上記のような誓約書を入社前に求めることが重要となります。仮に、前職企業の営業秘密を転職者が持ち出したとしても、誓約書によって当該行為が不法行為であると転職者に認識させ、転職先である自社で開示や使用することを食い止めることができる可能性があるためです。

このように、転職者に対する他社営業秘密の持ち出しを禁ずる誓約書、さらには自社従業員に対する他社営業秘密を開示・使用しない旨の教育等は、他社営業秘密が自社に不正に流入することを防止するために重要なこととなります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2023年9月27日水曜日

判例紹介:名刺データと顧客情報の違い

先日、下記日経新聞の記事に詳述されているように、元所属企業の名刺データの管理システムにログインするためのID、パスワードを転職先で開示したとして、元所属企業の社員が逮捕されました。しかし、逮捕理由は、営業秘密侵害ではなく、個人情報保護法違反とのことです。


上記記事によると、名刺データが営業秘密に該当しない可能性があるためとのことです。
”警視庁は今回、情報が営業秘密に該当しないと判断した。名刺は第三者に渡すことが前提で、記載された情報が非公知性の要件を満たす可能性が低いなどとみた。”
確かに、確かに名刺そのものは営業秘密とされない可能性が高いです。
例えば、東京地裁平成27年10月22日判決(平26(ワ)6372号)では、元従業員が転職先に名刺帳を持ち出したとして、元従業員を被告として被告の元所属先企業が原告となり、民事訴訟を起こしました。
これに対して裁判所は下記のように判断しています。
”本件名刺帳に収納された2639枚の名刺を集合体としてみた場合には非公知性を認める余地があるとしても,本件名刺帳は,上記認定事実によれば,被告Aが入手した名刺を会社別に分類して収納したにとどまるのであって,当該会社と原告の間の取引の有無による区別もなく,取引内容ないし今後の取引見込み等に関する記載もなく,また,古い名刺も含まれ,情報の更新もされていないものと解される(甲16参照)。これに加え,原告においては顧客リストが本件名刺帳とは別途作成されていたというのであるから,原告がその事業活動に有用な顧客に関する営業上の情報として管理していたのは上記顧客リストであったというべきである。そうすると,名刺帳について顧客名簿に類するような有用性を認め得る場合があるとしても,本件名刺帳については,有用性があると認めることはできない。

この裁判例では、名刺の単なる集合、すなわち分類や更新もされていない名刺帳には営業秘密でいうところの有用性がないと判断しています。名刺の集合のなかには、顧客(又は顧客見込み)の情報が含まれているでしょうが、分類等されていない限り第三者から誰が顧客なのかは判別できず、企業活動に利用できるかと問われると単なる名刺の集合で難しいでしょう。この裁判例では名刺帳ですが、名刺に記載の内容をデータ化した場合であっても同様でしょう。
また、今回の事件の記事では、非公知性が否定される可能性を懸念していますが、名刺の単なる集合に有用性がないと判断するか、非公知性がないと判断するかに本質的な違いが無いと思います。なお、上記裁判例でも、下記のように名刺そのものには非公知がないとも指摘しています。
”原告は,本件名刺帳に収納された名刺に記載された情報が原告の営業秘密に当たる旨主張するが,名刺は他人に対して氏名,会社名,所属部署,連絡先等を知らせることを目的として交付されるものであるから,その性質上,これに記載された情報が非公知であると認めることはできない。”
一方、顧客情報は、単なる名刺の集合とは異なり、文字通り企業の顧客(又は顧客見込み)の情報であり、企業として収益の要ともいえ、その有用性が否定されるものではありません。このように、営業秘密の視点からは、顧客情報と名刺の集合とでは少なくとも有用性に大きな違いがあると思われます。

とはいえ、今回の事件のように、営業秘密ではなくても、名刺データを転職先等で開示すると違法となる可能性があるようです(今回の事件は、不正ログインのような気もしますが。)。このため、転職時における名刺データの取り扱いは注意が必要でしょう。

弁理士による営業秘密関連情報の発信