2023年9月14日木曜日

判例紹介:営業秘密としての技術情報の特定(認められない例)

技術情報を営業秘密として特定するためには、図や表、プログラム、特許請求の範囲と同様の記載、とのように様々な形態があり得ます。しかしながら、特定は形態でもよいわけではなく、やはり営業秘密とする技術情報の内容が客観的に判断可能な形態で特定する必要があります。

ここで、技術情報の特定が認められなかった裁判例として大阪地裁令和5年7月3日判決(事件番号:令2(ワ)12387号)があります。
この事件では、UCN(波長が600オングストロームより長い、極端に低いエネルギーの中性子であって、その低いエネルギー故に容器の中に閉じ込められる性質を有するもの(Ultra Cold Neutron))に関する装置を、原告が営業秘密と主張しています。

本事件において、まず原告は以下のように営業秘密の特定について述べています。
❝本件は、本件情報が化体した本件物件につき、その使用、開示の差止め等を求める事案であり、本件物件が社会通念上他の有体物から識別できる程度に特定できていればよく、必ずしも、営業秘密に当たる技術上の情報そのものの記載まで求められるものではない。原告らは、別紙物件目録において、社会通念上他の有体物から識別できる程度にまで本件物件を特定している。❞
そして、原告は営業秘密を下記のように主張しています。
❝本件情報の具体的内容は、本件物件の外部形状、内部構造及びその機能を発揮させるため組み上げられた各部の装置や機器(以下「構成部品」という。)を含む仕組み自体であり、形状及び構造にあっては、本件物件全体及び各構成部品の形状、寸法、加工及び組立てに関する情報である❞

このような原告の主張(営業秘密とする技術情報の特定)に対して、裁判所は以下のように判断し、原告の主張を認めませんでした。
❝しかし、かかる記述は情報の属性を極めて抽象的に述べたものにすぎず、具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことは全く不可能であり、ひいては公知の情報との対比(有用性、非公知性)や、管理態様(秘密管理性)を観念することができず、営業秘密の要件を備えるかどうかを判断することができない。
したがって、原告らの主張によってはそもそも本件情報が営業秘密に当たるとすることはできず、その主張は失当に帰する。原告らは先例からこのような特定で十分であるとするが、上記のとおり、営業秘密に該当するかどうかの判断ができない以上、原告らの主張は採用することができない。❞
ここで、客観的に特定できる技術情報がどのようなものであるかが上記で示されていると思います。
すなわち、「具体的な技術思想や技術的意義を含む情報の具体的内容を読み解くことが可能」なように技術情報を特定する必要はあります。
たとえば、図面やソースコード、材料の配合比率等は、具体的な内容を読み解くことができる典型でしょう。しかしながら、技術情報を上位概念にするほど、抽象的となり、具体的な内容を読み取くことができないものになり可能性があります。

そして、具体的な内容を読み解くことを必要とする理由は、「公知の情報との対比(有用性、非公知性)」、「管理態様(秘密管理性)を観念する」ことを可能とするためです。
すなわち、営業秘密の三要件を判断可能な程度に技術情報は特定されないといけません。そして、本事件のように営業秘密の特定ができていないとして、原告敗訴となる事例が少なからずあり、秘匿化する情報の特定は何より大事です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年9月6日水曜日

他社営業秘密を持ち出した人の雇用リスク

営業秘密の不正流出の目的の一つに転職先で使用するというものがあります。
このブログでも度々、営業秘密の流入リスク(侵害リスク)について取り上げていますが、この流入リスクを負う立場は転職先企業です。そして、転職者(転入者)による営業秘密の流入リスクは近年、流出リスクと共に顕在化してきています。

先日も、地方航空会社であるオリエンタルエアブリッジの元従業員が航空会社であるトキエアへ転職する際に、保安対策に関する営業秘密を持ち出したとして書類送検されました。

・退職者による社内情報のデータ持ち出しについて(オリエンタルエアブリッジ株式会社 リリース)
・航空保安情報持ち出し疑い ORC元社員を書類送検 長崎県警(毎日新聞)
・航空保安情報、持ち出し容疑 ORC元管理職を書類送検(朝日新聞)
・航空保安情報持ち出し疑い 元管理職を書類送検、長崎(産経新聞)
・航空保安情報を持ち出しか 元ORC管理職を書類送検(日本経済新聞)
・オリエンタルエアの航空保安情報を持ち出しか、元管理職を書類送検…新規参入トキエアに入社(読売新聞)

この事件では、トキエアへの営業秘密の開示及び使用は認められなかったとのことですが、上記の読売新聞の報道によると「男が作成に関与したトキエアの安全管理規程も作り直された」とのことです。
本事件についてトキエアの関与はなく、トキエアには当該営業秘密が開示されなかったとのことですから、トキエアは安全管理規定を作り直す必要はないようにも思えます。
とはいえ、トキエアとしては、営業秘密を不正に持ち出した人物が作成に関与した安全管理規定を使い続けることに不安感があり、このために安全管理規定を作り直したということなのでしょうか。


この例のように、前職企業の営業秘密を持ち出した転職者(転入者)が自社で当該営業秘密を開示しなくても、当該転職者が自社で関与していた業務についての見直し、やり直しを行うという判断をする企業もあるようです。

なお、営業秘密を持ち出した人物は、上記読売新聞の報道によると、オリエンタルエアブリッジでは「安全管理や安全に関する社内教育などを担当する安全推進室の管理職」であり、トキエアでも「安全推進室の管理職」となっていたようです。
仮に、この人物がトキエアにおいて営業秘密を開示していたならば、部下である元来の従業員もトキエアの営業秘密であると認識したうえで、当該営業秘密を使用して安全管理規定を作成した可能性があります。もし、そのような事態に陥れば、上記従業員も刑事罰を受ける可能性があります。

このような可能性を鑑みると、企業としては、転職者が自社において前職企業の営業秘密を開示、使用することを確実に防止する必要があります。特に、転職者が自社において管理職等となり、部下を持つ立場であれば、なおのことであると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信 

2023年8月29日火曜日

判例紹介:情報を持ち出さない旨の合意の解釈

前回のブログで紹介した事件(東京地裁令和4年8月9日(事件番号:令3(ワ)9317号))、知財高裁令和5年2月21日(事件番号:令4(ネ)10088号))続きです。

この事件は、原告の従業員であって後に被告会社に移籍したBが原告在籍中に本件データのファイルのスライドの一部を作成し、Bが被告会社に移籍した後、被告ら作成データのファイルのスライドの一部を作成し、被告Aに対して被告ら作成データを含むファイルを電子メールで送信したというものです。なお、被告Aは原告の元代表取締役であり、代表取締役を辞任した後に被告会社を設立しています。
本事件の結論は、原告が主張する情報は営業秘密ではないと地裁によって判断され、原告の主張は全て棄却され、知財高裁でも覆ることはありませんでした。

今回は、本事件において原告と被告との間で締結していた合意書についてです。
本事件では、原告の元代表取締役である被告Aは、原告会社に在籍している時に下記5項を含む合意書を原告Cとの間で締結していました。この合意書において乙は被告Aであり、甲が原告Cとなります。
❝5.乙はGSPの資産(ソフトウェアを含む)、顧客リスト、その他営業上・経営上の資産、情報を持ち出さないこと。❞
上記5項の合意があると、被告Aが原告の情報に基づく作成データを入手したことは5項違反のようにも思えます。


しかしながら、裁判所は、この5項について❝本件合意書5項にいう「情報」とは、本件経過及び当事者双方の合理的意思を踏まえると(原告C21頁)、営業秘密又はこれに準ずる情報をいうものと解するのが相当である。❞とし、以下のように被告の5項違反を否定しています。
❝本件データは営業秘密に該当するものではなく、本件データと実質的に同一である被告ら作成データも営業秘密に該当するものとはいえず、その内容に照らし、有用性が極めて低い情報であるといえる。そして、上記認定事実によれば、その他の情報についても、単なる電子メールのやり取りにとどまるものなど、その内容に照らし、被告ら作成データと同様に原告の営業秘密又はこれに準ずるものに該当することを認めるに足りない。のみならず、被告Aが原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、上記情報の性質や内容等に照らし、これによって原告に損害が生じたことを認めるに足りず、これを裏付ける的確な証拠もない。
以上の諸事情を総合すれば、被告Aが指示して原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、当該情報が営業秘密又はこれに準ずる情報に当たらないから、本件合意書5項に違反すると認めることはできない。❞
このような裁判所の判断に対して、知財高裁において原告は以下のように主張しました。
❝原判決は、同項の「情報」について「営業秘密又はこれに準ずる情報」を意味するものと限定的に解釈したが、これを裏付ける証拠のうち、「営業秘密又はこれに準ずる情報」という具体的な表現が出てくるのは、原審における控訴人代表者Bに対する裁判長からの誘導的かつ抽象的な補充尋問のみであることからして、上記限定解釈は根拠を欠く。❞
すなわち、原告は5項でいうところの「情報」は営業秘密に限らず、自社で作成等された全ての情報を含むものであると、との主張を行っているのでしょう。
これに対して知財高裁は、下記のように原告の主張を認めませんでした。なお、下記のBは原告(控訴人)の代表者です。
❝原審の控訴人代表者尋問におけるやりとりをみると、Bが、5項の「情報」について「経営上有益なもの」を持ち出さないという趣旨である旨述べたことを踏まえて、原審裁判長が、「要するに営業秘密又はそれに準ずるような情報という趣旨」かを確認したところ、Bが「おっしゃるとおり」と回答したのであるから、B自身が「経営上有益なもの」に限定する意思を有していたのであり、原審裁判長による誘導などされていない。❞
ここで、原告の主張するように5項の「情報」が「営業秘密又はこれに準ずる情報」に限定解釈されなかったどうなったのでしょうか?被告Aが原告から情報を取得したのであれば、被告Aは当然に5項違反となり得るかと思います。そうすると、当該情報は、営業秘密ではないため差し止めは認められずとも、損害賠償は認められるのでしょうか。
しかしながら、裁判官は一審において❝被告Aが原告から情報(甲5の1ないし6の情報)を取得したとしても、上記情報の性質や内容等に照らし、これによって原告に損害が生じたことを認めるに足りず、これを裏付ける的確な証拠もない。❞とも認定しています。そうすると、当該「情報」が営業秘密であるなしにかかわらず、原告の損害は認められないことになるのでしょうか。

上記5項のような情報管理の規定において「情報」はできるだけ広い概念として定義される場合もあるかと思います。そうすることで、自社から持ち出された情報が秘密管理性を満たさず営業秘密でなくとも、持ち出した者に対して損害賠償が可能なようにも思えます。
しかしながら、そのように「情報」を定義しても本事件の裁判所の判断を鑑みると、当該情報に有用性や非公知性がないとしたら、自社に損害はない、すなわち当該情報には保護する価値がないと判断される可能性が高いのではないでしょうか。

弁理士による営業秘密関連情報の発信