前回のブログではダイキン工業による冷媒R32(HFC-32)の知財戦略について紹介しました。
今回は、これを知財戦略カスケードダウンに当てはめます。なお、知財戦略カスケードダウンへの当てはめは、下記の参考資料をものに筆者が独自に考えたものであり、ダイキン工業の戦略そのものではありません。
上記資料を参考にして冷媒R32に対する事業目的・戦略・戦術を下記のように考えます。
<事業目的>
冷媒R32を用いたエアコンの販売。
<事業戦略>
冷媒R32を世界的に普及させる。
<事業戦術>
(1)微燃性である冷媒R32を扱いやすくするため、ISO規格に「微燃」分類を設ける。
(2)冷媒R32のデファクトスタンダード化。
上記のように事業戦術には(1)、(2)の二つあると考えます。
事業戦術(1)の規格化は、冷媒R32は微燃性であるものの、当時のISO規格では「可燃」に分類されてしまい、「可燃」は高い安全性レベルを求められることから、「微燃」の分類を新たに設けることで冷媒R32を使用し易くするために選択された戦術です。
一方で事業戦術(2)は、経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】のp.43に下記のように記載されているように、ダイキン工業の危機感から生じた戦術でしょう。
❝2011年の特許開放の際、R32空調機器関連特許を独占的に実施して、同社だけがシェアを伸ばして独り勝ちするというビジネスモデルが従前の特許の活用方法であるが、同社だけがR32を採用し、その他の会社が環境負荷の高い冷媒を採用してそれがデファクトスタンダード化すると、地球温暖化防止という最大の目的が果たせないだけでなく、デファクトスタンダードから外れたR32を採用した同社がビジネスしにくくなるおそれが生まれるなどのリスクも考慮して、R32の仲間作りをする方向に舵を切るというビジネス判断をした。❞
次に、事業戦術(1)に基づいた冷媒R32に対する知財目的、知財戦略、知財戦術を下記のように考えます。
<知財目的>
ISO規格に「微燃」分類を設ける。
<知財戦略>
冷媒R32に関する特許の無償開放。
<知財戦術>
無償開放する特許として、製品設計における必要性が比較的高い特許を選定。
知財目的である「ISO規格に「微燃」分類を設ける。」を達成するための知財戦略として、「冷媒R32に関する特許の無償開放」を選択した理由は、経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】のp.42に下記のように記載されています。
❝同社はR32を使ったエアコンを先行開発し、多数の特許を持っていたため、ISO規格に関する議論の中で、特許の存在で他の会社がR32を使えない状況ではISO規格を変更するための賛同が得づらいことが想定された。❞
規格化のためには、必ずしも特許を無償開放する必要はないかと思います。逆に規格の中に特許権に係る技術を含ませることでライセンス収入を得るという知財戦略もあるでしょう。しかしながら、ダイキン工業はそのような選択はせずに、新たな分類をより確実に設けることができるように特許の無償開放を知財戦略として選択しました。なお、この知財戦略は、次に説明する事業戦術(2)に対する知財戦略とも親和性の高い知財戦略でもあります。
そして、知財戦術は、無償開放する特許の選定となるのですが、ダイキン工業は「製品設計における必要性が比較的高い特許」である93件を2011年に無償開放し、結果的に2014年にISO規格に「微燃」分類を設ける改正が承認されています。
次に、事業戦術(2)に基づいた冷媒R32に対する知財目的、知財戦略、知財戦術を下記のように考えます。
<知財目的>
冷媒R32のデファクトスタンダード化。
<知財戦略>
冷媒R32を普及させるために、冷媒R32に関する特許の無償開放。
<知財戦術>
(1)無償開放する特許として、製品設計における必要性が比較的高い特許を選定。
(2)無償開放を視野に入れた冷媒R32に関する特許を継続して出願。
上記の経営戦略を成功に導く知財戦略【実践事例集】のp.43に記載されているように、特許により技術を一社が独占すると、他社は競合技術を採用せざるを得ません。
多くの企業は、自社技術を特許で独占することで競合技術を採用した他社製品との差別化して利益を挙げようとします。しかし、自社技術を特許で独占すると、当該技術はデファクトスタンダード化することは難しいように思えます。もし、自社技術をデファクトスタンダード化させたいのであれば、特許による独占は良い戦略とは言えないかもしれません。
そこで、知財戦略としては、冷媒R32に関する特許の無償開放ということになります。また、知財戦術としては、無償開放する特許として、製品設計における必要性が比較的高い特許を選定します。これらは、規格化の知財目的と同じであり、2つの知財目的を達成するための戦略・戦術に矛盾や齟齬が生じません。もし、一方の戦略・戦術を実行すると他の戦略・戦術を阻害するようであれば、それらの戦略・戦術は見直す必要があります。
ここで、規格化を目的とした知財戦略・戦術は、規格化が承認されることで完了します。一方で、冷媒R32をデファクトスタンダード化するという知財目的は、どのタイミングで達成したとなるのでしょう?一度の無償開放により、その目的は達成されたことになるのでしょうか?また、無償開放するからといって、その後の特許出願は行わないという選択になるのでしょうか?
このように考えると、「無償開放を視野に入れた冷媒R32に関する特許の継続した出願」も特許無償開放という知財戦略を達成するための、知財戦術と考えるべきでしょう。継続した特許出願により、一度だけではなく、冷媒R32の普及の程度により複数回の無償開放のように、段階的な無償開放も可能となります。実際に、ダイキン工業は、現時点までに無償開放を3段階に分けて行っています。
なお、冷媒R32が世界的に十分に普及したと判断した後は、無償開放する特許の追加は終了するのでしょう。そして、冷媒R32を用いたエアコン製品において他社製品と差別化するために、特許又は秘匿化による技術の独占を目的とした知財戦略・戦術が新たに立案されることになるかと思います。
弁理士による営業秘密関連情報の発信