しかしながら、このような報道が営業秘密の秘密管理性を正しく理解したうえでなされているのか少々疑問に感じます。
具体的には、退職者と企業との間で秘密保持契約を交わしたからといって、企業が保有する情報に対する秘密管理性が認められるとも限りません。すなわち、秘密保持契約を企業と退職者とが交わしたとしても、それを持って、企業が保有する情報が営業秘密と認められるわけではありません。
一方で、退職者が企業との間で秘密保持契約を交わさなかったからといって、企業が保有している情報を退職者が自由に持ち出していい、というものでもありません。すなわち、秘密保持契約を企業と退職者とが交わさなかったとしても、それ持って、企業が保有する情報が営業秘密と認められ無いわけではありません。
私は、退職者と企業との間における秘密保持契約は企業が保有する営業秘密の秘密管理性を補強するに過ぎないものであり、対象となる情報に秘密管理措置を常日頃から行っていないと、当該秘密保持契約は意味をなさないと考えます。
一方で、秘密管理措置を常日頃から行っていれば、たとえ退職者との間で秘密保持契約を締結しなくても、当該情報を不正に持ち出した退職者に対して営業秘密侵害を問うことができます。
例えば、東京地裁平成30年9月27日判決(平成28年(ワ)26919号 ・ 平成28(ワ)39345号)があります。
本事件において被告A、Bは、まつ毛サロンを経営する原告の元従業員であり、退職後に同業他社のまつ毛サロンで勤務しています。原告は、被告A,Bが退職後の勤務先で原告から示された営業秘密(本件ノウハウ)を不正に利益を得る目的で使用又は開示しているとして、本件ノウハウの使用又は開示の差止め等を求めました。
この事件では、下記のように原告は退職する従業員に対して守秘義務についての誓約書を提出させています。そして、本事件の被告である元従業員もこの誓約書を提出しています。
また、原告は就業規則においても守秘義務を課していることを主張しています。
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原告は,就業規則において,本件ノウハウを含む会社の業務上の機密を他に漏らしてはならず,会社の許可なくマニュアル類等の重要物の複製や持ち出しを行ってはならないことや,退職時に守秘義務等について明記した誓約書を提出することなどを定めており,実際に,原告は,従業員が退職する際には,当該従業員に,本件ノウハウを含む原告の機密情報を一切漏らさない旨を誓約させ,退職する従業員にも秘密保持義務を負わせている。
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これに対して被告は下記のような主張を行っています。
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秘密管理性の要件を満たすためには,その情報が営業秘密であることを第三者が認識できることが必要であると解される。
しかしながら,原告の就業規則においても,被告らが原告に対して退職時に提出した誓約書においても,本件ノウハウが業務上の機密又は機密情報に該当するか否かは定かではない。
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そして裁判所の判断は以下のとおりです。
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本件で,原告が営業秘密であると主張する本件ノウハウは,原告で施術されるまつ毛パーマ,アイブロウ及びまつ毛エクステンションの技術に関する情報であるところ,原告においては,同技術が蓄積されていて,従業員に対して,その技術を幅広くトレーニング等で伝えていたことが認められる。しかしながら,上記(1)イ及びカのとおり,それらの技術について,秘密であることを示す文書はなかったし,従業員が特定の技術を示されてそれが秘密であると告げられていたものではなく,また,その技術の一部といえる本件で原告が営業秘密であると主張する本件ノウハウについて,網羅的に記載された書面はなく,従業員もそれが秘密であると告げられていなかった。
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以上によれば,本件ノウハウについて,原告において秘密として管理するための合理的な措置が講じられていたとは直ちには認められない。また,まつ毛パーマ等に関する技術については一般的なものも含めて様々なものがあることも考慮すると,上記のような状況下で,被告らにおいて,本件ノウハウについて,秘密として管理されていることを認識することができたとは認められない。
そうすると,本件ノウハウは,「秘密として管理されている」(不競法2条6項)とはいえないから,その余の要件について判断するまでもなく,営業秘密には該当するということはできない。
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このように、たとえ企業が退職者との間で秘密保持契約(守秘義務契約)を交わしたとしても、そもそも企業が対象とする情報に対して秘密管理措置を行っていないと、当該秘密保持契約は何ら意味を成し得ません。これは、就業規則に記載されている守秘義務も同様です。
このことを企業は十分に理解して退職者と秘密保持契約を締結する必要があります。
では、何のために退職者と秘密保持契約を交わすのか?
その理由は、退職者に営業秘密の不正な持ち出しは違法であることを再認識させるためと考えるべきでしょう。最善の秘密保持契約では、退職者が知っているであろう企業秘密を特定できるように契約書に記し、それらが営業秘密であることを再認識させることです。
一方で、退職時に企業から秘密保持契約を求められなかったり、求められても拒否したからと知って、その退職者が在籍していた企業の情報を自由に持ち出すことが出来るわけではないことも理解できるでしょう。既に、営業秘密として管理されている情報は、たとえ秘密保持契約を交わしていなくても、不正に持ち出すことは違法となります。
従って、退職時に秘密保持契約を交わしていないことは、営業秘密を持ち出してよいことの理由にはなり得ません。
以上のように、営業秘密侵害の報道で言及されているような、退職者と企業との間における秘密保持契約の有無は営業秘密侵害において重要な要素ではありません。「退職者との間で秘密保持契約さえ交わせば安心」とのような認識を持っている企業は、今一度、営業秘密の要件を確認する必要があるでしょう。
弁理士による営業秘密関連情報の発信