しばらく前に日本ペイントデータ流出事件の刑事事件判決(名古屋地裁令和2年3月27日 平28(わ)471号 ・ 平28(わ)662号)が出ていました。日本ペイントの営業秘密を持ち出したとされた被告人は、一審地裁判決では懲役2年6月(執行猶予3年)及び罰金120万円となっています。
この事件は、塗料の製造販売等を目的とする当時の日本ペイント株式会社(判決文ではa社)の子会社であるb株式会社の汎用技術部部長等として、被告人が商品開発等の業務に従事していました。そして、被告人は、a社の競合他社である菊水化学工業株式会社(判決文ではc社)にa社の営業秘密を漏えいし、自身もc社の取締役に就任したというものです。なお、被告人は、a社の元執行役員でもあったようです。
この刑事事件判決文は営業秘密を理解する上で参考になることがいくつかあり、今回は他社の営業秘密の流入リスクについて考えてみたいと思います。
まず、どのようにして被告人がc社に営業秘密を漏えいさせたのでしょうか?
判決文によると、被告人はb社に在籍中、同社本社内において本件情報(a社の塗料である○○及び△△(本件各塗料)の原料及び配合量)が記載された商品設計書を取得して、これを基に本件各塗料の原料及び配合量の情報についての電磁的記録(○○に関するものを「完成配合表①」、△△に関するものを「完成配合表②」)を作成しました。
そして被告人は、c社において完成配合表①を基に作成した「●●:ホワイト」と題する書面(以下「推奨配合表①」という。)をc社の従業員Aらに手渡しました。さらに被告人は、完成配合表②を基に作成した「▲▲:ホワイト」と題する電磁的記録(以下「推奨配合表②」)を添付した電子メールをc社の従業員Bに送信しました。
なお、被告人はc社に配合表を提供する前に、自ら提案書を持参してc社に赴き、被告人がb社を退職して塗料ビジネスコンサルタントを始める予定であることを伝え、被告人とのコンサルタント契約の締結を持ち掛けていたとのことです。すなわち、当初、被告人はb社を退職した後にc社のコンサルタントとなるつもりだったようです。
そしてc社は被告人により開示された○○に係る情報を用いて塗料「●●」を,△△に係る情報を用いて塗料「▲▲」を,それぞれ開発製造して販売しました。
その結果、被告人はa社から営業秘密の領得等により刑事告訴され、c社はa社から民事訴訟を提起されています。さらに、報道によると「事件を受け、菊水化学は住宅向け塗料など一部製品については昨年3月から販売を中止している。」(Sankei Biz 2017.7.15「日本ペイントが菊水化学を提訴」)とのことです。
まさに、c社(菊水化学)は他社の営業秘密が流入したことにより、訴訟となり、自社製品の販売停止まで至っています。これが他社の営業秘密流入リスクの典型例です。
では、c社はどうするべきだったのでしょうか?
被告人からコンサルタント契約の打診を受けるまではいいでしょう。このようなことは、少なからずあることでしょうし、コンサルタント契約の打診だけでは営業秘密の開示を受けたことにはなりません。
一方、被告人から推奨配合表①,②を受け取ったことは非常に良くないことです。
この時点で、推奨配合表①,②には被告人の所属企業であったa社又はb社の営業秘密が含まれていることをc社は想定するべきでした。
具体的には、推奨配合表①は手渡しだったので、その場で被告人に返却するべきでした。
また、推奨配合表②はメールで送付されたので返すことはできません。そこで、このメールはc社内で不特定の従業員の目に触れないように管理したうえで、被告人にa社又はb社の営業秘密が含まれていないことを確認するべきでしょう。
もし、営業秘密が含まれていないと被告人が主張するのであれば、a社又はb社にそれが事実であるか否かを確認することの同意を被告人から得るべきでしょう。そこまでやれば、被告人の反応から営業秘密が含まれているか否かが分かりますし、もし、含まれているという確信があればa社又はb社へその事実を通知し、c社は被告人による営業秘密の領得には関与していないことを伝えるべきでしょう。
営業秘密の領得等は犯罪ですので、そのような犯罪行為があったことを被害企業に伝えることは当然の行為です。また、それにより、自社の潔白を被害企業に認識させることにもあるでしょう。
上記のことを考慮する必要があるにもかかわらず、被告人から受け取った情報をもとに、製品を製造販売するということは最も悪手であり、c社が当該製品の製造販売の停止にまで追い込まれることは当然でしょう。
ここで、被告人から推奨配合表①,②を受け取ったc社の従業員A,Bがどのような立場の人物であったかは判決文からは分かりません。技術開発を行う人物であったかもしれませんし、経営に携わる人物であったかもしれません。しかしながら、どのような立場の人物であったも、他社の営業秘密の流入リスクは認識し、対応できるようにしなけらばならないでしょう。
昨今、人材の流動性は高まっており、この流れは益々促進されるでしょう。さらに、SNS等により、個人間のやり取りも容易です。すなわち、自社に他社の営業秘密が流入するルートは会社の公の窓口(人事、転職サイト等)だけでなく、あらゆる可能性があります。
そうすると、全従業員が営業秘密についてある程度の理解を有する必要があります。
自社の営業秘密を漏えいすることが違法であるだけでなく、他社の営業秘密の使用が違法であることを正しく認識させる必要があります。
これを怠った結果がまさにc社の結果でしょう。
なお、c社はa社から民事訴訟を提起されています。提訴は2017年であり、営業秘密の民事訴訟は2年前後で一審判決がでる傾向があるので、すでに判決が出る頃かと思いますが出ていません。このため民事訴訟は既に和解している可能性もあるかと思います。c社は既に当該製品の製造販売を停止していますし、a社が納得する賠償金を支払うことに同意していれば、和解には至るでしょう。また、この刑事事件の判決文を見ると、c社が刑事事件に対して協力的であったとも思えます。
次回は、被告人がリバースエンジニアリングによる非公知性の喪失についても主張していますので、その点について検討したいと思います。
弁理士による営業秘密関連情報の発信