2026年9月30日水曜日

旭化成の営業秘密侵害事件(刑事事件)

先日、旭化成の営業秘密を中国企業に流出させたとして、旭化成の元従業員(66歳)が逮捕されました。


この事件の時系列をまとめると以下のようになります。
2018年11月末   
 旭化成を退職
 (潜在性硬化剤に関わる営業秘密の製造データが入ったHDDを持ち出し)
 →名古屋市内の化学メーカー等複数企業に再就職
2024年8月
 名古屋市内のメーカーが情報漏えいを愛知県警に相談
2024年9月13日
 中国の山東聖泉新材料股份有限公司に旭化成の営業秘密をメールで送信
2025年4月
 容疑者の自宅を家宅捜索(旭化成の営業秘密侵害が発覚)
2026年9月17日
 容疑者を逮捕

この事件は、容疑者が所属していた複数のメーカーの営業秘密を不正に持ち出していた可能性があり、容疑者は営業秘密の不正取得や不正開示が犯罪であるという意識が相当低いように思えます。
また、容疑者は旭化成の営業秘密を2018年に取得し、2024年に中国企業に不正開示しています。一般的には、退職と共に営業秘密を不正取得した場合には、転職後に間もなく営業秘密を転職先に不正開示します。すなわち、不正取得と不正開示との間が数年の開きがあることはあまりないように思えます。
もしかしたら、容疑者は所属企業を退職する度に所属企業の営業秘密を不正に持ち出していたのかもしれません。そして、何らかの機会があれば、持ち出した営業秘密を他社に引き渡すつもりだったのでしょうか。

さらに、容疑者によって営業秘密を持ち出された企業が愛知県警に相談して、愛知県警が容疑者宅を家宅捜索した結果、旭化成の営業秘密が中国企業に流出したことが発覚したとのことです。すなわち、それまで旭化成は容疑者によって営業秘密を持ち出されたことを認識していなかったようです。容疑者は退職時に返却すべきHDDを持ち出していたようですが、何も気付けなかったということは2018年当時において旭化成での機器の管理にも疑問が生じます。

なお、今回の事件は、旭化成とは異なる企業が愛知県警に相談したことをきっかけに発覚して逮捕されています。そうすると、愛知県警に相談した企業の相談案件はどのようになったのでしょうか。家宅捜索までしているので、この容疑者が何らかの情報を不正に持ち出している可能性は高かったようにも思えますが、家宅捜索から既に一年半ほど過ぎています。持ち出した情報が秘密管理性等の要件を満たしていなかったのでしょうか?


ここで、容疑者による旭化成の営業秘密の持ち出し(領得)は、営業秘密が記憶されたHDDを返還しなかったことのようなので、不正競争防止法第21条第2項第1号イに該当すると思われます。
(不正競争防止法 第二十一条)
2 次の各号のいずれかに該当する者は、十年以下の拘禁刑若しくは二千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、次のいずれかに掲げる方法でその営業秘密を領得したもの
イ 営業秘密記録媒体等(営業秘密が記載され、又は記録された文書、図画又は記録媒体をいう。以下この号において同じ。)又は営業秘密が化体された物件を横領すること。
そして、不正競争防止法違反罪(営業秘密侵害罪)の法定刑は十年以下の拘禁刑であるため、刑事訴訟法上の公訴時効は7年となります。容疑者による旭化成の営業秘密の持ち出し(領得)が2018年11月であるならば、「領得罪」単体については2025年11月頃に7年が経過し、時効が完成している可能性があります。

一方で、不正競争防止法第21条第2項第2号では、示された営業秘密を不正に「使用・開示」する行為を領得とは別の独立した犯罪として規定しています(本事件では営業秘密を日本国外である中国企業に開示しているので、不正競争防止法第21条第5項(海外重罰)に該当する可能性もあるかと思います。)。
(不正競争防止法 第二十一条)
2 次の各号のいずれかに該当する者は、十年以下の拘禁刑若しくは二千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
二 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、その営業秘密の管理に係る任務に背いて前号イからハまでに掲げる方法により領得した営業秘密を、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、使用し、又は開示したもの
したがって、仮に2018年における営業秘密の「領得」が時効となっていたとしても、2024年9月13日における中国企業への「不正開示」行為自体が新たな犯罪を構成しており、その時効(7年)は未だ過ぎていません。

このように、営業秘密侵害罪は「領得」、「使用」、「開示」等の侵害態様ごとに犯罪が成立するため、「領得」の時効が過ぎたからといって「開示・使用」は時効とならない場合があるので、注意が必要です。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2026年9月16日水曜日

判例紹介:営業秘密の不正開示の例

営業秘密の侵害は営業秘密の不正使用だけでなく、不正な開示も含まれています。
では、営業秘密でいうところの開示とは具体的にはどのような行為でしょうか。
営業秘密の開示について、不正競争防止法 逐条解説には以下のように記載されています。
営業秘密の「開示」とは、営業秘密を第三者が知ることができる状態に置くことをいい、営業秘密を非公知性を失わないまま特定の者に知られる状態に置くことも含む。具体的には、営業秘密を口頭で伝えたり、営業秘密が記録された電子データを特定の第三者に送信したり、ホームページに営業秘密を掲載したりすることのほか、営業秘密が化体された有体物(営業秘密記録媒体等又は営業秘密が化体された物件(注4))の占有を移転することで他者に営業秘密を通知したりすることなどが考えられる。
上記のように開示とは「営業秘密を第三者が知ることができる状態に置くことをいい、営業秘密を非公知性を失わないまま特定の者に知られる状態に置くことも含む。」とあります。逐条解説には、この説明に続いて具体的な例が記載されていますが、開示とされる行為の範囲は非常に広いように思えます。

ここで開示行為を具体的に判断した裁判例として大阪地裁令和8年1月22日判決(事件番号:令6(ワ)5424号 ・ 令6(ワ)8059号)があります。
この事件において、原告は訪問看護事業の遂行にあたり、原告システムを利用して利用者情報や訪問看護サービスに必要な情報を一元的に管理し、本件マスタメンテ情報を登録していました。
被告A~C等は原告事業者で勤務していたものの、被告Bは被告A,Cと共に原告と同様の訪問介護サービス事業を行う会社(被告会社)を立ち上げ、原告を退職しています。
そして、原告は、被告Aの退職時にマスタメンテ情報を不正に取得等したと主張しています。
この主張に対して、マスタメンテ情報の営業秘密性及び被告Aによる不正取得(不競法2条1項4号違反)を認めました。


さらに、裁判所は以下のように、被告Aによるマスタメンテ情報の不正開示を認めました。
 イ 開示について
 前記前提事実に加えて、証拠(乙4、7、9、被告A本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告会社が令和6年4月から被告システムの利用契約を締結し、同月1日から訪問看護サービスの提供を開始した事実、被告会社が同年3月中に当初引継対象者との間で訪問看護サービスサービス利用契約を締結した事実、遅くとも同月末頃から被告システムへの入力が可能となり、当初引継対象者の情報として、少なくとも本件マスタメンテ情報の別紙2「第1」の「6」の「(1)医療保険、(2)高齢者受給者証、(3)高額療養費、(4)介護保険、(5)負担割合証、(6)公費」の項目に対応する情報が被告Aによって被告システムに登録された事実、・・・が、それぞれ認められる。
 これらの事実に加え、上記「(1)」ないし「(6)」の情報は、利用者IDや公的な資格に関する情報であって、被告会社が原告から引継ぎを受けた時点より半年以上前に取得された情報であったとしても、引き継いだ利用者の情報である以上、利用する余地は十分にあるというべきであることや、被告システムが利用するソフトウェア(iBow)において、別の事業所の情報を他の事業所に取り込むことは推奨されていないものの、取込みが自体は可能であること(甲14)を考慮すると、被告Aによって本件マスタメンテ情報の別紙2「第1」の「6」の「(1)」ないし「(6)」の情報が被告システムに登録されたと推認することができる。
 以上によれば、被告Aは、本件マスタメンテ情報の同「6」記載の情報のうち、上記「(1)」ないし「(6)」に係る情報を被告会社に開示したといえ、当該開示について、不正競争(不競法2条1項4号)が成立する。
このように、不正取得した営業秘密をコンピュータシステムに登録するような行為も営業秘密の不正開示になるようです。
コンピュータシステムにマスタメンテ情報を登録するだけでは開示に当たらないようにも思えますが、マスタメンテ情報をコンピュータシステムに登録することにより、第三者(本事件では被告会社の従業員)がマスタメンテ情報を知ることができるようになります。すなわち、営業秘密を第三者に実際に見せていなくても、第三者が見ることが可能な状態にすることが不正開示にあたり、営業秘密の侵害となります。

そして、このように不正開示された営業秘密を事業に使用することも侵害行為となり、これは個人だけの違法行為ではなく、下記のように会社による違法行為となる可能性があります。このため、本事件では被告Aだけでなく、被告Aが務めている被告企業の営業秘密侵害もも裁判所によって認められました。
 (3) 被告会社の不正競争の成否について
 上記の認定事実及び弁論の全趣旨によれば、被告会社は、被告Aによる被告システムへの登録という方法によって本件マスタメンテ情報の上記「6」の「(1)」ないし「(6)」の情報の開示を受け、令和6年4月から、被告システムを用いて、同情報に係る利用者である当初引継対象者に対する訪問看護サービスの提供を開始し、上記情報を業務に使用したことが認められる。そして、被告会社の事業が被告A及び被告Bを中心として開始されたこと(乙9)ことからすれば、被告会社は、被告Aによる上記情報の不正取得行為が介在したことを知って、上記情報を使用したといえる。
 以上によれば、被告会社の上記情報の使用について、不正競争(不競法2条1項5号)が成立する。
弁理士による営業秘密関連情報の発信

2026年8月31日月曜日

営業秘密視点で中途採用者にしてはいけないこと

企業が中途採用者に期待することの一つに即戦力でしょう。その中には、前職企業で培った知識、技能、経験も含まれるかと思います。しかしながら、中途採用者の前職企業の営業秘密までも自社で使用等することは違法行為になります。
このため、中途採用者に対して、前職企業の営業秘密を聞き出そうとすることは避けなければなりません。

中途採用者に前職企業の営業秘密を聞き出すパターンは、以下の2つがあるかともいます。
パターン1:採用面接時に聞き出す。
パターン2:採用後に聞き出す。
パターン1は採用前ですが、採用面接時に面接官が求職者に対して前職又は現職の営業秘密を聞き出そうとする場合もあるでしょう。

ここで、中途採用者から聞き出すのであれば、前職企業からデータのコピー等を行うのではないため、営業秘密侵害には当たらないと考える人もいるかもしれません。
これに関して下記のように、中途採用者が自身が知っている前職企業の営業秘密を転職先に口頭で伝える行為は、不正競争防止法第21条第2項第1号でいうところの営業秘密を「領得」したことにはならないため、刑事罰の対象にはならない可能性があります。
2 次の各号のいずれかに該当する者は、十年以下の拘禁刑若しくは二千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一 営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き、次のいずれかに掲げる方法でその営業秘密を領得したもの
・・・
一方で、不正競争防止法第2条第1項第7号には、不正競争行為として以下のように定義されています。ここには「領得」が要件に含まれていないため、口頭で営業秘密を不正に開示すること、さらには、それを使用等すること(不競法2条1項8号)は民事的責任を負う可能性があります。
営業秘密を保有する事業者(以下「営業秘密保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為


しかしながら、自社の従業員が中途採用者に対して前職企業の営業秘密を聞き出そうとしたことにより、中途採用者が前職企業の営業秘密を口頭でのみ伝えるだけでなく、実際に前職企業の営業秘密を不正に持ち出す可能性があります。

例えば、採用面接時に求職者に対して営業秘密を聞き出そうとした結果、求職者は採用を確実にしてもらうことを目的として、営業秘密を不正に持ち出す可能性があります。求職者が退職していない場合には現職企業の営業秘密をコピー等して持ち出す、採用担当者等にメールで送るかもしれません。
また、採用後に前職企業の営業秘密を中途採用者から聞き出そうとした結果、中途採用者は前職企業の元同僚を通じて営業秘密を取得するかもしれませんし、前職企業のサーバに不正アクセスすることで営業秘密を取得するかもしれません。
このような場合には、営業秘密を不正に持ち出すことになるので刑事罰の対象になります。

そしてこのような場合において、果たして中途採用者等だけの責任と言えるでしょうか?
中途採用者等から営業秘密を聞き出そうとした従業員も、中途採用者に営業秘密の不正な持ち出しを指示したとして共犯となる可能性もあるかと思います。また、自社も両罰規定により刑事罰を受ける可能性もあります。
このような事態に陥らないためにも、中途採用者等から情報を得る場合には十分な注意が必要となります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信