2025年8月29日金曜日

判例紹介:古い判決での有用性判断

少々古い営業秘密侵害の訴訟での有用性についての裁判所の判断を紹介します。
この事件は、名古屋地裁平成20年3月13日判決(事件番号:平17(ワ)3846号)です。

本事件は、ロボットシステムにつき我が国有数のシェアを有する会社が原告であり、被告らは原告の元従業員等です。
そして、原告は、過去に受注したロボットシステムの部品構成や仕入額等が記録されたプライスリスト、バリ取りツール図面やCADデータ等の設計図が原告の営業秘密であり、被告らがこの営業秘密を不正に取得し、不正に使用したとして、被告や被告会社に損害賠償を等を求めました。

ここで、原告は、プライスリストには以下のような理由によって有用性があると主張しました。
プライスリストは,原告の製造するロボットシステムの商品別の付加部品リストで,過去25年間に受注,製造,販売した具体的な物件ごとに作成されており,経費項目分類,品名,部品番号,メーカー,材質,型式,数量,発注先,納入日,金額が記載されている(甲7はそのひな形である。)。
本件プライスリストには,本件各製品番号のロボットシステムにつきユニット別の構成部品のメーカー,品番,仕入先,価格が明示されており,特に,多数使用されている市販の汎用部品については,多種の中から実績のある最適のものが選択されて掲載されている。したがって,同業他社は,本件プライスリストの内容を知れば,上記ロボットシステムの基本的構造,部品構成,部品の仕入価格や仕入先が分かり,原告製品と同水準のロボットシステムを,原告製品よりも安い製造原価で製造できることになる上,その見積り,受注に当たっては,原告より優位に立つことにも貢献する。

一方で、被告らは、プライスリストに対して有用性はないと主張しています。


これらに対して、裁判所は以下のように判断しています。
(イ) 原告は,本件プライスリストにより,原告のロボットシステムの基本的構造が分かると主張するが,本件プライスリストからは外注部品がどのような部品であるかは分からないし,また,用いられた汎用部品及び外注部品が分かったとしても,その情報のみからロボットシステムの基本的構造が分かるとは認められない。
(ウ) また,原告は,本件プライスリストにより,ロボットシステムの見積り,受注に当たって原告より優位に立つことができると主張する。
しかし,本件プライスリストは,汎用部品及び外注品の仕入価格が記載されているにすぎないものであって,見積額は,仕入価格のみならず,市場における類似商品の価格状況,当該販売先との取引経緯及び将来の販売見込み等の具体的な諸事情を基にして算定されるものであるから,本件プライスリストに係る情報を入手したとしても,そのことから直ちに原告の見積額を一定の精度をもって推知できることにはならない。原告のSI事業部の営業課長を勤めた経験を持つT(昭和11年▲月▲日生。)は,証人尋問において,N及びMの見積書を作成する際,従前の見積書を参考にしたこと,本件訴訟のためにプライスリストを印刷してもらったほかは,自分自身であるいは他の従業員に依頼してプライスリストを印刷したことはない旨述べているのであって,原告の社内においても,見積書を作成する際にプライスリストの情報が有用なものとして用いられていなかったものと認めるのが相当である。
したがって,本件プライスリストにより,ロボットシステムの見積り,受注に当たって原告より優位に立つことができるとは直ちに認められない。
このように、裁判所は、原告が主張するプライスリストの有用性を否定しました。
しかしながら、裁判所は、原告の主張を否定したものの、下記のように、プライスリストの有用性そのものは認めています。
(ア)・・・同業他社が本件プライスリストを見れば,本件各製品番号のロボットシステムについて,その構成ユニット別に,どのような市販部品(汎用部品)が使用されたか,その仕入先及び仕入単価が分かり,また,外注部品(特製部品,特注部品)についても,本件プライスリスト上に記録された「品名/部品番号」によってはそれがどのような部品であるかが分からないとしても,どの外注先から仕入れているものであるかが分かるから,これらの情報は,ロボットシステムを設計,製造,販売する同業他社にとって,汎用部品及びその仕入先,外注部品の外注先を選択する上において,また,当該仕入先,外注先との価格交渉をする上において,有益な情報であると認められる。・・・
(エ) 以上によれば,本件プライスリストは,同業他社が,本件各製品番号のロボットシステムと同種のロボットシステムを設計,製造するに当たり,その汎用部品及びその仕入先,外注部品の外注先を選択する上において,また,当該仕入先及び外注先との価格交渉をする上において,有用性があるものと認められる。
このように、裁判所は有用性に対する原告の主張は否定しているものの、プライスリストの有用性について認めています。

一般的に、プライスリスト等の営業情報(技術情報ではない経営に関する情報)は有用性や非公知性が認められ易い情報です。このため、営業秘密保有者はプライスリスト等の営業情報の有用性について、詳細な主張は必要ないと考えます。具体的には、‟本情報は、経営上有用な情報である。”との程度で十分ではないかと思います。

本事件は、平成17年に提起されたものであり、このころは営業秘密に関する判例も多くはない頃であったため、原告は有用性に関する主張を詳細に行ったのだと思います。一方で、現在では、判例も多くなってきており、上記のように有用性は認められ易い要件であり、このような詳細な説明は不要であると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年8月21日木曜日

判例紹介:転職後における元同僚を介した前職企業の営業秘密の不正取得

転職に伴う営業秘密の不正な持ち出しの態様としては、以下の2パターンがあるともいえます。
①転職者自身が持ち出すパターン。
②転職後に元同僚等を介しての不正取得するパターン。

①のパターンは全ての責任を転職者自身が負うことになりますが、②のパターンは元同僚も何かしらの責任を負う可能性があります。

東京地裁令和6年8月20日判決(事件番号:令5(特わ)2117号)の刑事事件の被告は②のパターンで前職企業の営業秘密を不正に取得しています。なお、この事件の被告は、商社である兼松から同業他社である双日に転職した際に兼松の営業秘密を持ち出したものであり、懲役2年(執行猶予4年)、罰金100万円との判決を受けています。

被告がどのようにして前職企業の営業秘密を不正に取得していたかが判決文から分かります。
令和4年7月16日午後7時27分頃から同日午後9時31分頃までの間、東京都江東区〈以下省略〉被告人方において、自己の携帯電話機から、アプリケーションソフト「LINE」を使用して、当時のa株式会社従業員Aに対し、近日中にドイツ連邦共和国への出張が予定されており、同社在籍時に作成した同国出張の際の会食場所やホテルをリストアップした資料が必要である旨の内容虚偽のメッセージを送信して、同社が管理する営業秘密が保存されたサーバーコンピューターへのアクセスが可能なAが使用するアカウント情報等を教えてほしい旨依頼し、その旨誤信した同人に、同アカウント情報等を前記LINEを使用して被告人に送信させ、・・・
このように、被告は「LINE」を介して元同僚から元同僚のアカウント情報を取得しています。そして被告は「サーバーコンピューターに保存されていたa株式会社の営業秘密である取引台帳、開発提案書及び採算表の各ファイルデータ合計3点」を不正に取得しています。
すなわち、被告は、元同僚をだましてアカウント情報を取得したことになります。


この点、裁判所も以下のように判断しています。
本件営業秘密に係る各ファイルデータが保存されたフォルダを含む数百個のフォルダを逐一選択してダウンロードしたものであり、・・・、被告人は、ダウンロードしたファイルデータの中に本件営業秘密が含まれていることを当然認識していたと認められ、犯意も強いというべきである。被告人が本件営業秘密を不正取得した目的は証拠上明確ではないが、少なくとも海外出張先の会食場所等の情報や転職先で作成する資料のひな型として利用することなどのみを目的としていたとは考えられず、・・・
アカウント情報を被告に伝えた元同僚は、刑事的責任を問われていません。しかしながら、この元同僚は、自社のサーバーへのアカウント情報を社外に開示しており、このような行為は一般的な企業であれば就業規則違反等となるでしょう。そうすると、この元同僚は社内で何かしらの処分を受けている可能性が相当高いと考えられます。

また、被告は、前職企業では秘密保持誓約を交わし、転職先においても前職企業の営業秘密を持ち込まない旨の誓約書を交わしていたようです。それにもかかわらず、このような行為を行っているということは、よほど営業秘密に関する意識が乏しかったのでしょう。

転職者によるこのような犯罪を防ぐためにも、転職者を迎え入れる企業は転職者に対して前職企業の営業秘密を転職時及び転職後も持ち込まないように十分に注意喚起及び説明を行う必要があります。
なお、転職者が前職企業の営業秘密を持ち込むタイミングは転職間もないタイミングです。この事件でも、転職先に入社した日は令和4年7月1日であり、アカウント情報を聞き出した時期は令和4年7月16日です。
このことからも、転職者に対する上記の注意喚起及び説明は、転職後すぐに行う必要があることがわかります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年8月14日木曜日

東京エレクトロンによるTSMCの機密情報取得について

先日、東京エレクトロンの台湾事務所の元従業員が台湾のTSMCの2nmの半導体技術に関する技術情報を不正に持ち出し、台湾において刑事事件となったとのニュースがありました。

・<台湾>2ナノ半導体秘密持ち出しか、TSMC元社員ら拘束 日本企業も捜索(朝日新聞)
・<台湾>TSMC機密取得で元従業員拘束、台湾当局が東エレク捜索 現地報道(日本経済新聞)
・<台湾>台湾当局、TSMC元従業員ら3人拘束 機密情報を不正に取得疑い(毎日新聞)
・<台湾>TSMCの機密情報不正取得で元従業員ら3人拘束 国家安全法違反容疑で台湾当局(産経新聞)
・<台湾>TSMCの半導体技術を不正取得か、台湾検察が元従業員ら3人の身柄拘束…日本企業に転職(読売新聞)
・<台湾>TSMC関係者3人拘束 機密取得で国安法違反疑い―台湾(JIJI.COM)

この事件は、台湾国内では通常の営業秘密不正取得とは異なると考えている可能性があるように思えます。
台湾の法律では営業秘密法というものがあり、これは日本でいうところの不正競争防止法の営業秘密規定と同様のようです。

しかしながら、今回の事件はこの営業秘密保護法の適用ではなく、国家安全法の適用であるということです。この国家安全法は、国家機密の漏えいや経済スパイ行為等に対応するための法律のようであり、いわゆるスパイ防止法のようなものでしょうか。この法律が適用されたということは、今回の事件は台湾の経済を揺るがすような事件として認識されたということなのでしょう。


また、今回の事件の特徴的なことの一つとして、TSMCから持ち出された技術情報が東京エレクトロンを介して日本企業であるラピダスに流出したのではないかという疑義がもたれているということです。
この疑義を解消するためでしょうか、東京エレクトロンからリリースされた「当社に関する報道について」には、「当社による調査では、現時点において関連する機密情報の外部への流出は確認されておりません。」との一文があります。通常であれば、「自社内での機密情報の開示や使用は確認されておりません。」とのようなことが記載されると思われますが、そのような文章はなく「外部流出はない」とのように他の事件では見られない一文です。

技術情報は実態のない情報であるため、容易に拡散させることができます。実際にある企業の営業秘密が点々と他社に拡散することもあります。また、取引先から開示され、自社で管理している情報が漏えいするという事例も生じています。

本事件において東京エレクトロンにとってよくないことは、仮にTSMCの技術情報を不正使用していないとしても、2nmの半導体技術を東京エレクトロンが開発した場合に実はTSMCの技術情報を用いていたのではないかという疑義を持たれるということです。
さらに、仮に東京エレクトロンがTSMCの技術情報を不正使用していた場合には、当然、当該技術情報の使用をやめなければなりません。もし、TSMCの技術情報を用いて新たな技術を開発していた場合には、この新たな技術開発もやめないといけません。そもそも、営業秘密には特許権のように存続期間の概念もありません。このため、TSMCの技術情報が公知となるまで、当該技術情報を使用することはできないでしょう。その結果、東京エレクトロンは2nmの半導体技術の開発に足枷を有することにもなりかねません。

このように、他社の技術情報が自社に不正流入した場合には、それが将来にわたって負の影響を生じさせる可能性もあります。このようなことを考えると、自社から営業秘密が不正に流出することを防ぐだけでなく、他社の営業秘密が自社に不正流入することも防止することも重要となります。

弁理士による営業秘密関連情報の発信