2025年10月13日月曜日

リバースエンジニアリングによる営業秘密の非公知性判断と特許の新規性判断

販売されている自社製品のリバースエンジニアリングによってその技術内容が公知となることはよく知られていることです。
リバースエンジニアリングによる営業秘密の非公知性判断については、下記にまとめています。

結論からすると「専門家により、多額の費用をかけ、長期間にわたって分析することが必要」とする場合には、リバースエンジニアリングが可能であっても営業秘密としての非公知性は喪失していないとされます。すなわち、「専門家によらず、多額の費用をかけず、長期間にわたらない分析」によるリバーズエンジニアリングで得られた技術情報は非公知性を喪失していることとなります。

一方、特許の新規性判断はどうでしょうか?
特許出願前に販売された自社製品に特許に係る発明を用いていた場合には、「公知」(特許法第29条第1項第1号)又は「公然実施」(特許法第29条第1項第2号)に該当する可能性があります。特許に係る発明が自社製品の外観から容易にわかる場合には、当然、公知又は公然実施になるかと思います。
しかしながら、自社製品を分解、分析等しなければ知り得ない技術は、公知又は公然実施となるのでしょうか?

ここで、特許権侵害による差止等請求事件である東京地裁令和3年10月29日判決(事件番号:平31(ワ)7038号 ・ 平31(ワ)9618号)において、裁判所は以下のように述べています。なお、このような裁判所の見解は、他の裁判例でも示されています。
法29条1項2号にいう「公然実施」とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい,本件各発明のような物の発明の場合には,商品が不特定多数の者に販売され,かつ,当業者がその商品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん,外部からそれを知ることができなくても,当業者がその商品を通常の方法で分解,分析することによって知ることができる場合も公然実施となると解するのが相当である。
このように、特許に係る発明が、特許出願前に販売された製品をリバースエンジニアリングすることで知り得る場合には「公然実施」に該当し、審査で拒絶されたり無効とされると考えられます。
なお、本事件に係る特許権(特許第5697067号)の特許請求の範囲は以下のようなものです。
【請求項1】
  菱面晶系黒鉛層(3R)と六方晶系黒鉛層(2H)とを有し、前記菱面晶系黒鉛層(3R)と前記六方晶系黒鉛層(2H)とのX線回折法による次の(式1)により定義される割合Rate(3R)が31%以上であることを特徴とするグラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材。
  Rate(3R)=P3/(P3+P4)×100・・・・(式1)
  ここで、
      P3は菱面晶系黒鉛層(3R)のX線回折法による(101)面のピーク強度
      P4は六方晶系黒鉛層(2H)のX線回折法による(101)面のピーク強度
である。
この発明に対して裁判所は以下のように判断しています。
・・・本件特許出願前から,被告伊藤は,本件発明1の技術的範囲に属する被告製品A1ないし3及び本件各発明の技術的範囲に属する被告製品A4ないし11を,被告西村は,本件各発明の技術的範囲に属する被告製品B1及び本件発明1の技術的範囲に属する被告製品B2を,日本黒鉛らは,本件各発明の技術的範囲に属する日本黒鉛製品1ないし3並びに本件発明1の技術的範囲に属する日本黒鉛製品4及び5を,中越黒鉛は,本件発明1の技術的範囲に属する中越黒鉛製品1及び2並びに本件各発明の技術的範囲に属する中越黒鉛製品3をそれぞれ製造販売していたものである。
そして,前記2(1)イのとおり,本件特許出願当時,当業者は,物質の結晶構造を解明するためにX線回折法による測定をし,これにより得られた回折プロファイルを解析することによって,ピークの面積(積分強度)を算出することは可能であったから,上記製品を購入した当業者は,これを分析及び解析することにより,本件各発明の内容を知ることができたと認めるのが相当である。したがって,本件各発明は,その特許出願前に日本国内において公然実施をされたものであるから,本件各特許は,法104条の3,29条1項2号により,いずれも無効というべきである。
このように本事件では、製品をリバースエンジニアリングすることによって発明の内容を知ることができたとして、本件特許が無効とされています。このリバースエンジニアリングはX線回折により行われるものであり、当然、商品を外部から観察しただけで知り得るものではありません。
このような判断は、上記note記事等における錫合金組成事件の非公知性判断と同様でしょう。


一方で、「認識」可能性の観点から「公然実施」による無効理由を否定した裁判例もあります。例えば、知財高裁令和4年8月23日判決(事件番号:令3(行ケ)10137号)は、展示会で展示されたことが公然実施に該当するとした無効審判の審決取消訴訟であり、結論からすると特許権は無効とならずに維持されてます。
この特許権の特許請求の範囲は以下です。
【請求項1】
走行機体の後部に装着され、耕うんロータを回転させながら前記走行機体の前進走行に伴って進行して圃場を耕うんする作業機において、
前記作業機は前記走行機体と接続されるフレームと、
前記フレームの後方に設けられ、前記フレームに固定された第1の支点を中心にして下降及び跳ね上げ回動可能であり、その重心が前記第1の支点よりも後方にあるエプロンと、
前記フレームに固定された第2の支点と前記エプロンに固定された第3の支点との間に設けられ、前記第2の支点と前記第3の支点との距離を変化させる力を作用させることによって前記エプロンを跳ね上げる方向に力を作用させる、ガススプリングを含むアシスト機構とを具備し、
前記アシスト機構は、さらに、前記ガススプリングがその中に位置する同一軸上で移動可能な第1の筒状部材と第2の筒状部材とを有し、
前記第1の筒状部材には前記第2の支点と前記ガススプリングの一端とが接続され、前記第2の筒状部材には前記ガススプリングの他端が接続され、
前記第2の筒状部材に設けられた第1の突部が前記第3の支点を回動中心とする第2の突部に接触して前記第3の支点と前記第2の支点との距離を縮める方向に変化することにより、前記エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少し、
前記ガススプリングは、前記エプロンが下降した地点において収縮するように構成される
ことを特徴とする作業機。
本事件では、「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少する」という構成が展示会において、不特定の者によって技術的に理解される状況(少なくともそのおそれのある状況)で実施されていたか否かが争点となっています。

これに対して裁判所は以下のように判断しています。
・・・本件展示会において、見学者が、エプロンを跳ね上げるのに要する力が、本件発明の構成要件Gに記載された技術的思想の内容であるエプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少することを認識することが可能であったとは認められないから、本件展示会において、検甲1により、本件発明の構成要件Gに係る構成が公然実施されていたと認めることはできず、本件発明が本件優先日前に検甲1により公然実施されていたとは認められない。
このように、特許請求の範囲の「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少する」という構成を、展示会において不特定のものが「認識できない」として、裁判所は特許権を維持するという判断を行っています。

さらに、本事件において裁判所は「そして、発明の内容を知り得るといえるためには、当業者が発明の技術的思想の内容を認識することが可能であるばかりでなく、その認識できた技術的思想を再現できることを要するというべきである。」とも述べています。
このように、公然実施を認定するためには、実施された製品から特許請求の範囲に記載の構成を「認識」できることを必要とするようです。このことはAIPPI(2016)Voi.61 No11の「公然実施に基づく新規性・進歩性判断」や特許庁発行の「審判実務者研究会報告書2024」の「公然実施発明と進歩性の判断」でも述べられています。

このような「認識」や「再現性」を敢えて、リバースエンジニアリングによる営業秘密の非公知性判断に当てはめると、製品をリバースエンジニアリングすることができても「専門家により,多額の費用をかけ,長期間にわたって分析することが必要」な技術情報は、「認識」が難しく、また「再現性」が低い技術情報ともいえるのではないでしょうか。
このように考えると、リバースエンジニアリングによる営業秘密の非公知性判断と特許の新規性判断は、同様であるようにも思えます。

とはいえ、営業秘密と特許とは、秘匿化と公開を伴う権利化とのように根本的に異なるもの(法律)であり、同様に考えることはできない、又は同様に考える必要はないのかもしれません。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年9月29日月曜日

営業秘密を保有する事業者の秘密管理意思について

裁判における秘密管理性の認定では、営業秘密を保有する事業者の「秘密管理意思」が従業員等に示される必要があるともされています。
例えば、経済産業省が発行している営業秘密管理指針(最終改訂:令和7年3月31日)では以下のように述べられています。この記載からは、秘密管理意思を従業員等に認識させるために、営業秘密とする情報に秘密管理措置を行うということが理解できるかと思います。
秘密管理性要件が満たされるためには、営業秘密保有企業の秘密管理意思が秘密管理措置によって従業員等に対して明確に示され、当該秘密管理意思に対する従業員等の認識可能性が確保される必要がある。具体的に必要な秘密管理措置の内容・程度は、企業の規模、業態、従業員等の職務、情報の性質その他の事情の如何によって異なるものであり、企業における営業秘密の管理単位(本指針17頁参照)における従業員等がそれを一般的に、かつ容易に認識できる程度のものである必要がある。
下記グラフは、裁判の判決文において「秘密管理意思」との文言が用いられた回数を示したものです。このグラフから、裁判において「秘密管理意思」の認定は主に近年(2019年以降)になった行われたものであるようです。


この理由はなぜでしょうか。
ここで、営業秘密管理指針は平成27年(2015年)に全部改定されており、全部改定される前の営業秘密管理指針(平成23年12月1日改訂)における秘密管理性には以下のことが記載されています。
「秘密管理性」が認められるためには、その情報を客観的に秘密として管理していると認識できる状態にあることが必要である。
具体的には、①情報にアクセスできる者を特定すること、②情報にアクセスした者が、それを秘密であると認識できること、の二つが要件となる。
このように全部改定前の営業秘密管理指針における秘密管理性の説明では、営業秘密保有者の「秘密管理意思」とのような文言で説明されておらず、「①情報にアクセスできる者を特定すること」、「②情報にアクセスした者が、それを秘密であると認識できること」の要件を満たした場合に秘密管理性が認められるとのような見解が記されています。
一方で、全部改定された営業秘密管理指針では、上記のように、秘密管理性を認定するための特定の要件を必要とせず、上記のような「秘密管理意思」との文言を用いることで、秘密管理性はより広く認められるとのような見解が示されています。
おそらく近年の裁判所の判断は、このような営業秘密管理指針の見解の影響を受けて、営業秘密保有者の「秘密管理意思」が従業員等に示されていることを秘密管理性の要件としていると考えられます。

また、「秘密管理措置」の文言も平成27年(2015年)の全部改定から用いられた文言です。これも裁判の判決文において用いられた回数を調べたところ、やはり2015年以降に多用されるようになっています。


このように、近年の裁判所の判断は、秘密管理意思を従業員等に認識させるために秘密管理措置が必要であるとしているものの、特定の秘密管理措置を必要としているわけではありません。あくまで、秘密管理措置は営業秘密保有者の秘密管理意思を従業員等に認識させることができればよい、ということになります。
秘密管理意思を認識させることができれば、秘密管理措置は口頭で伝えるということでもよいことになるかと思いますし、もっと漠然とした秘密管理措置でもよいのではないかと思います。
秘密管理性の認定は、秘密管理措置の内容が重要なのではなく、従業員等に秘密管理意思を認識させることができているか否かであり、より広範囲で認めるべきであると考えます。

弁理士による営業秘密関連情報の発信

2025年9月23日火曜日

判例紹介:顧客との間での守秘義務契約と秘密管理性

今回紹介する裁判例(大阪地裁令和7年4月24日判決 事件番号:令3(ワ)10753号)は、顧客との間での守秘義務契約が秘密管理措置となり得るかについてです。

本事件は、原告の元取締役であった被告が原告の営業秘密である顧客情報(本件顧客等情報)や電子基板の設計データ(原告電子基板設計データ)を不正取得、使用等したと主張しているものであり、被告は取締役であったときに被告会社を設立しています。

裁判所は、本件顧客等情報及び原告電子基板設計データのいずれについても営業秘密性を認めませんでした。以下は、原告電子基板設計データの秘密管理性に係る裁判所の判断です。なお、下記の「ATOUN」及び「新生工業」は、原告及び被告会社に対し、電子基板設計データの開発を依頼したことがある会社です。
(ア) 原告電子基板設計データについて、これが秘密情報であることを外形的に示す表示等はなされておらず、原告電子基板設計データを含む、原告において作成された電子基板設計データは、原告社内のNASサーバーに保存されていた。一方、作業中の電子基板設計データが、各従業員のパソコンに保存されることもあった。
(イ) 原告社内のNASサーバーは、アクセスするために、ID及びパスワードによる認証を経る必要があった。一方、NASサーバー内のファイルやフォルダに対し、当該従業員とは無関係な情報にはアクセスができないようにするなどのアクセス制限は講じられていなかった。なお、NASサーバーのID及びパスワードは、従業員が使用するパソコンのログインID及びパスワードと同じものであった。
(ウ) 被告個人は、原告の業務のために、私物のパソコンにデータを移して電子基板の設計作業をすることもあった。
(エ) 原告、被告個人、ATOUN関係者及び新生工業関係者等との間で、別紙7「メール一覧表」記載のメールのやりとりがあった。なお、令和元年12月25日14時35分付けのRから被告個人に送信されたメールに添付されていたファイルは、電子基板2の設計に向けて作成された要求仕様書(乙8)及びPDF形式の令和元年7月17日に作成された HIMICO Ver2 の回路図(乙9)であった。また、同年12月26日午後4時48分付けのRから被告個人に送信されたメールに添付されていたファイルは、上記要求仕様書(乙8)の修正版(乙10)であった。
イ 別紙7「メール一覧表」のとおり、原告代表者が、令和元年12月25日、被告個人に対し、回路図データが破損のため開けないので同人がローカルに持っているデータを送付して欲しい旨述べ、同人が社外で使用しているパソコンに電子基板設計データが存在することを前提に、そのデータの送付を依頼するメールを送信し、被告個人もこれに応じて手持ちのデータを送付している(ただし、このとき送付したデータに原告電子基板設計データは含まれていなかった。)ことを踏まえると、原告において、原告電子基板設計データは、役員又は従業員が担当している案件に関するものであるか否かを問わず、NASサーバーにさえログインすれば閲覧することができ、かつ、作業のために社外へ持ち出すことも容認され、その持出し状況も管理されていなかったものと認められる。
そうすると、原告電子基板設計データは、他の社内データと区別して秘密として管理する意思が客観的に示されるような措置が講じられていたとは認められないから秘密管理性が認められない。
このように裁判所は、原告電子基板設計データの秘密管理性について否定しており、このような判断は原告の秘密管理措置からすると一般的ともいえる判断かと思います。
また、原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約が締結されていたようですが、これについても以下のように裁判所は秘密管理性としては認めませんでした。
この点、原告は、原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約を締結した上で取り扱っているものであり、このことは被告個人を含む従業員全員が認識していたのであるから、秘密として管理されていたと主張する。確かに、原告は、ATOUN及び新生工業との間で、秘密保持契約を締結した上で電子基板設計データを作成していたものと認められる(甲5、6)。しかし、対外的に顧客に守秘義務を課していたからといって、当然に原告内部での秘密管理措置を講じたことになるものではない。
しかしながら、このような裁判所の判断は果たして妥当でしょうか?
そもそも、秘密管理性は、当該情報に対して特定の秘密管理措置を講じたから認めらるというものではなく、当該情報の保有者の秘密管理意思を従業員等に認識させることができれば秘密管理性は認められるものではないでしょうか。また、秘密管理措置の一部が杜撰であったとしても、当該情報の保有者の秘密管理意思が否定されるものではないでしょう。


本事件において原告社内における原告電子基板設計データの秘密管理措置は杜撰であったとも思われます。一方で原告は、「原告電子基板設計データは、顧客との間で守秘義務契約を締結した上で取り扱っているものであり、このことは被告個人を含む従業員全員が認識していたのである」と主張していることからも、対外的には原告電子基板設計データに対する秘密管理措置を講じているともいえます。

この守秘義務契約の主張に対して被告は反論を行っていません。そうすると、被告はこの守秘義務契約の存在を認識しており、原告が対外的には秘密管理措置を講じていた、すなわち秘密管理意思を有していたことを認識していたと考えられます。さらに被告は、原告の元取締役でもあり、この立場からすると原告電子基板設計データを秘密とするべき重要性を認識していたと考えられます。
また、裁判所は「対外的に顧客に守秘義務を課していたからといって、当然に原告内部での秘密管理措置を講じたことになるものではない。」と判断していますが、社内の人間に対しては、対外的な秘密管理措置と社内的な秘密管理措置とを分けて考える必要性があるとは思えません。一般論として、社外の企業に対して秘密としているにもかかわらず、社内では秘密としない、換言すると、社外からの情報漏えいは許容しない一方で社内からの情報漏えいを許容する会社及び組織は存在するのでしょうか?
このようなことから、被告は、原告電子基板設計データに対する原告の秘密管理意思を認識していた、すなわち、被告に対しては原告電子基板設計データの秘密管理性が認められてもよいのではないでしょうか。

以上のように、営業秘密に対する秘密管理性の判断は、具体的な秘密管理措置の内容ではなく、当該情報に接した者が当該情報の保有者の秘密管理意思を認識していたか、という点で判断されるべきかと思います。このような判断は、既に産総研事件電磁鋼板事件、及び他の事件でもなされていると考えます。
一方で、例えば、被告が守秘義務契約の存在を知らない従業員等であった場合には、社内に対する秘密管理措置が不十分であり、原告の秘密管理意思を認識でなかったとして秘密管理性を否定するという判断もあり得るかと思います。

なお、営業秘密侵害は、当該情報の秘密管理性だけで判断されるものではありません。非公知性及び有用性も加味して当該情報の営業秘密性を判断し、そのうえで、不正取得や不正使用等が判断されるものです。
本事件では、原告電子基板設計データの秘密管理性を裁判所が認めなかったことから、裁判所は他の要件の判断を行っていません。個人的には裁判所は原告電子基板設計データの秘密管理性を認めたうえで、他の要件の判断を行ってもよかったのではないかと思います。

弁理士による営業秘密関連情報の発信